世界は称賛に値する

日記を書きます

こどもの頃からのセンサー、おとなになってからのセンサー(昨日の続き)

▼▼昨日の話題の、比喩。整理し直し。


▼▼こどもの頃は甘味センサーが敏感で、甘いものばっかり「好き」だと思っていた。だけど、おとなになると、苦味センサーが「別に」発達してきてくれて、苦いものを楽しめるようになった。
▼▼ということを最初は考えていたのだけど――
▼▼いや、苦味に関する理解が増えてきたことで、苦味というものを「甘味センサー」のところまで届かせる術を作り上げることができた――スキルを獲得できた、ってことなんじゃないの? って思ったのだった。


▼▼好きも嫌いも解釈でけっこうなんとかなる。▼▼しかし、どうにもならないところがある――どうしても嫌いな、どうしても好きな、ものがある。
▼▼あたりのことを考えていて、まあ試行錯誤を重ねることになった。▼▼結局、うまく整理をつけられていない気はする。


▼▼比喩で言う「甘味」の話を前面に出そうとすると、こどもっぽさ、幼稚さ、根源を露呈させてる雰囲気、が出てしまう(ように思えてしまう)、ということと、おそらくそのことによって、あんまり強く話せないことがある(恥ずかしく思えてしまうのと、あと、弱点をさらけ出しているような雰囲気を思ってしまう)ことがある、ということについても、いろいろ思っていて、そこをなんとかしたくなって(そう思っているのが嫌で)考えたところもある(大部分がそうかも)。
▼▼こども型甘味センサーとおとな型甘味センサーを地続きにすることで、そこを別物として認識するのやめたら? と自己説得を図ったわけだ。うまくいったかは怪しい。
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