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こども型好き、おとな型好き

思考記

▼▼こどもの頃からこの手の物には目がないのである、っていうような「好き」と、おとなになってようやくこのわびさびのようなものが判るようになったよー、っていうような「好き」について、こども型・おとな型、として(最初は)考えていた。
▼▼同じ「好き」という感覚であっても反応してくれるセンサーが二つある(こども型・おとな型、がある)、というモデルを最初は想定していたわけだけど、思考しつつ整理し直していたら、あくまでもセンサーは一つであり、センサーに至るまでのプロセスが、増えた――二つ目を構築できた、っていうことなんじゃないかな? と思いついた。


▼▼根源的な、先天的な、本能的な、直観的な、感情的な、ごくごく単純な、好き! と思えるセンサー(こども型センサー?)が、まず最初にあり――下地としてあって、初期は、そこに、ピンポイントに届いてくれて、響いてくれる――素直に感じられて反応を返すことのできる、刺激、に対して「のみ」、「好きだ!」って思いがちなのだけど、成長にしたがい――理解、体感、経験、が積み重ねられることによって、反応するタイプを増やすことができる――情報量を増やすことで、解釈の幅を拡げ、向きを曲げて、好き!センサーに、持ってこれるものを増やしてゆける、のである――、ということかなー、なんて思ったのだった。
▼▼こどもの頃からなんか好き、は、わりと単純な雰囲気を纏っていて、おとなになって判るようになった、は、ちょっと複雑な雰囲気が漂っている、というのは、そういう構造から匂ってきているのかな、と考えた次第である。