機運が高まる

▼▼機運が高まってるので、やろう、っていう路線変更をわりとする。比較的好きな世界像なのだと思う。▼▼けど、機運の高まりっていうのは「ツキが来てる」あたりの話と同様で、人間の認識機構による「世界の見えかた」の錯覚面の問題であり、実際は異なるのである、って言えるのだとも思っている。
▼▼っていうところまで考えて、四大元素説や天動説、妖怪や呪い、などの、否定された世界の仮説、あたりのことを連想した。同類じゃないの?って思ったのだった。妖怪の仕業である、とは、真っ正面からは言いづらいのに、機運が高まってる、っていうことに対しては、あまり言いよどまずに済む、のはなぜ? って考えた。
▼▼個人の認識の中に窺える傾向や情景に対して、だってこう見えてしまってるのでぼくはこう呼んでみます、的な勝手な呼称を使うのはアリでしょ、とかなのかな? 妖怪ホンヤデトイレイキタクナルが出たよー、って言うのは、まあ別に言えるだろ、的な。
▼▼まあ、擬人化というか「意志を介在させる」仮説ってやっぱり特殊なのかも……、というのも思いついた。勝手な説を打ち立ててみせるにしても、意志や意識のある存在、を混ぜるかどうかで、話がぜんぜん変わるのでは? って思えた。▼▼機運が高まってるねえ、とは言えても、機運を擬人化/妖怪化するなら、言いづらくなる、ような。