世界は称賛に値する

日記を書きます

昨日の問いの、雨後のタケノコ

▼▼比較的長くなった文章を書き終えた翌日、不意に、つまりあの話を一言で言うならこう言えばよいのだな、っていう閃きが湧いてきがちだ。雨後の筍の風情だ。
▼▼試行錯誤したあと数日くらいはまだ同じ「問い」について頭がぐるぐる勝手に巡回を続けてくれているようだ──我慢できずに眼が向いてしまってるし、自動的に頭が働いてしまってるようだし、シンプルな形状で語り直してみることに快楽すら覚えてしまってるのだ、ってことと、問いが持つ空間の整理に一回挑んでみたことによって、論旨や理路の流れの、核、中心線、支線、などが見えてくることがあるんだな──けどまあこれは「混乱を諫めながら、整理してみせんと、頑張ってじりじり思考を進めてみた」からこそ、というか一回無理矢理通り過ぎてみせたからこそか……、ってことと、やっぱり、最初っから「物事の核心や本道」と言えるところを、すっきりずばり、判りやすく掲げてみせるようなことは、できないものなんだな──前に類似問題に立ち向かったことでもあれば別なのかなと思うけど……、ってことを、思った。
▼▼前述したような脳内の動きが、こうして、毎日、日記を書き続けているせいか、普段想像してるより快活に働いてくれてて、驚いているところがある。▼▼日記の成果。
▼▼思考記録的なものを残し続けてゆく、ということが可能になっている背景に、昨日の問いについて、改めて、勝手に、シンプルな答えを出したがる、って習慣ができているから、って言いかたも可能かな、って思った。▼▼日記の背景。