気持ちよさで誤魔化しつつ、慣れる(のと、言葉を何で読むかで言葉の感じは変わるの?)

▼▼はまったWEB小説があって、ここのところ数日、iPhoneで読み続けていた。▼▼読み続けていたことで、やっと習慣づいたというか、慣れ親しみが出てきてくれたような雰囲気があって、なんというか、ここ数日の流れのおかげで「iPhoneで読書」という行動に対しての違和が明らかに減ったかと思った。以前は「慣れなさ」が集中を少し妨げているようなところがあったのだけど、素直に集中できるようになってきた、のだ。抵抗を生じさせていた壁が少しずつ小さくなっていってくれた。
▼▼ストーリーが激しくオモシロイ!って言えるあたりの「耽溺することができてしまうほどの極端な気持ちよさ」などが、見慣れない手慣れないことによる違和や抵抗の壁、を軽々と上回ってくれて──簡単に乗り越えさせてくれていて、だからまあ、気持ちよさに溺れながらしばらくは続けちゃってて、で、習慣のように続けちゃっているうち、次第に慣れが出て、違和も抵抗も消えて、物凄くオモシロイぜ!っていうほどの気持ちよさを得られないものであっても、滑らかに読めるようになる、というような、一回運よく何かで気持ちよくなれたらあとが続くね、っていうものがあるんだろう、と思っている。
▼▼ほんとうに慣れた。
▼▼慣れないよー読めないよー、って明確に思ってた頃があるので、まあ驚く。
▼▼電子書籍端末、スマホアプリ、紙の本、を、明確に異なるものとして、認識し、区別したがる、雰囲気は、やっぱり、じぶん側から出ていたようだ──じぶんの「慣れの違いから来る違い」によるところがおおきかったようだ、というようなことを現段階では思い始めていて──けどまあこの判断はまあ今後また変わるかもだけど──物理的な違いがやはり感覚の微細なところにまで影響してて看過できない違いがあって、まあ結局は乗り越えられない違いもあるねえ、なんて言い出してる可能性もあるけれど──
▼▼この流れで同時に思ったのは、読もうとする言葉の「物理的な姿の違い」により「言葉を読む時の手触りのようなものが変わる」というなら、書籍と、例えば雑誌、あるいは映画のパンプレット、フリーペーパーやチラシ、新聞、ともすれば文庫とハードカバーと新書、などに接してる時も、おのおので「言葉の受け止めかた」が変わってきたりしてるのでは? 電子書籍端末における読書の雰囲気の違い、を認識しようとするなら、こういう変質を踏まえてみてもよいのでは? というようなことだった。
▼▼無論インターネット上にある言葉だって特筆してよさそうだし、ゲーム内の台詞、台詞じゃなくても説明や、ないし説明書だって、特殊な場所だろう。ブログや動画サイトのコメント? ニコニコ動画のコメント? ツイッターのリプライやツイート? なんかも特殊な位置になったりする?かな?
▼▼言葉が置かれているところごとでの言葉の違い。空間や環境や位置、場所によって言葉が抱えるもの引き摺るもの支えるものの違い。▼▼というのと、文章の種類や言葉の種類による違い──小論文、感想文、紀行文、随筆、風景描写、台詞。あたりとの比較も想起できる。▼▼文学史のような言葉の歴史的なコンテクストによる違い、とかもだ。