気持ちの『同じ』

▼▼歓喜と狂喜と有頂天と喜びと嬉しさと快楽と気楽と楽ちん、激怒と怒りと不愉快と不快と苛立ちと許せなさと正義、哀しみと切なさ、悔しさと後悔と反省、油断と甘え、親しみと慣れと馴染みとなつきと飽きとダレ。
▼▼精神状態を、同一線上や延長線上、類似や連関、同種、同類、というものによって分類し理解する癖は、かなりあるけれど、同じと見做さないのもアリかなあ、と思ったりもしている(というか、例えば「苛立ち」を、「怒り」の、前兆、弱い版、続いていったところにあるもの、というような雰囲気であっさり見てしまうことに対し、妥当なの? と考えてみてもよいのでは、とは思う)(「苛立ち」を甘く見ていることになりそうな気もするし)(というふうに言うならば、昨日の怒りと今日の怒りは『同じ』なのか?)(昨日の怒りと今日の怒りを『同じ』と判断しないと決めるなら、それはつまり『同じ』という言葉の意味を壊してるだけだったりするんじゃないの?)(まあ、微妙な違いが、繊細な差異が、あったりするじゃん、という事実や事態を、うまく見つめられるようにしておきたいな、といった標語を掲げてみせたいだけかも)(というか、如何なるところから如何なるところまでが、同じで、違うか、見ようとしてるのが好きー、っていう趣味嗜好の話?)