世界の決め打ち第二弾(定義の話をしていぶりだす)

▼▼三日前の日記とほぼ同内容と言える(別の言葉が出てきたので記録)(後半は逸れていった)。


▼▼例えば、人は(命は?)初めからおしなべて素晴らしいのである、というような命題があったとして、この言葉に対する、賛否。▼▼確かにそうだ、素晴らしいぞ、という認識を共有するにせよ、人それぞれ、少しずつメカニズムが違ったりもする。▼▼人とは? 命とは?素晴らしいとは? という境界線での差異もあるだろう。
▼▼というような答えのない(各自が、じぶんの経験に基づいて――集まった情報や知見に基づいて、感覚などを踏まえながら、決めるしかない)問題について、まあでも、正解はないよねー、なんてことは思いつつも、たいてい、おおよそのところは、ある程度決めながら、普段生きているんじゃないかと思う――無意識に決め打ちながら意志し行動してしまっている、んじゃないかと思う。時々は(人によっては頻繁に)ふと、立ち止まって考えてみたりもするけれど、普段は、なんか、脳内で慣れたもの、身体に馴れたもの、を行使してしまっている、事柄。
▼▼このあたりの、思想、信念、信仰に潜っていった話が、好きである。


▼▼何が素晴らしく、何が正しく、何が美しいか。何がしたいか。何を望むか。何を排除しようとするか。


▼▼この話、「決める」って単語使うの、あやうくない? とは最後に思った。


▼▼定義の話を丁寧にしていくのってけっこう手間なので、嫌がられたり、実際にじぶんでも面倒に思ったりすることがあるのだけど、おおまかかつ規模のおおきい(人生観や世界観や価値観にまつわる)話をする時は、そういう「境界線」を詰めていかないと、好きな話に辿り着けない(相互の齟齬を見極めるための「繊細な違い」がいぶり出せない)ところがあるので、ま、じぶんは、定義の話も好き! って言うしかないところは(も)、ある。あるなあ、という落ちで思考が終わった。

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