力を発揮できる環境とできない環境の線引きに対する解像度

▼▼バトル漫画の名手にラブコメ漫画を描かせたら、たとえ、かつて傑作バトル漫画を描き上げた人物であったとしても、駄作ラブコメ漫画を描きうるだろう、というような想像はいちおうできているのだけれど、一回、バトル漫画の傑作を描き上げてみせたような描き手に、また、舞台設定や人物設定の異なる「バトル漫画」を描いてもらったら、なぜか非常につまらないものが出来てしまった、駄作になってしまった、というような状態に対しての想像は、あんまりうまくできていなかったりする。おおきな枠組みの変更の影響については想像力が及ぶけれど、細部の変更による影響については想像が及んでいない、頭がついていかない、のだと思う。ささやかな変更がおおきな影響を与える、あるいは、ささやかなところに実際は核がある、といったことのダイナミクス、原理、構造、が、頭と躰に馴染んでいない、というふうにも見做せるだろう。
▼▼スゴイ人はいつだってスゴイはずである、と、盲目的に祭り上げ、買いかぶり、過剰に期待してしまうような精神、のことを最初は考えていたのだけど、流石にスゴイ人だってこれほどに異なった環境に置かれたのであればそのスゴさを維持できないだろ……、という想像は可能だな、と思いついて、では如何なるところまでを「異なった環境」であると認識できているのだろうか──、ここの境界線に対する解像度がつまり期待過剰の問題点や改善点になるんじゃないか──、というふうに路線を変えて、考えを進めようとしてみた、のであった。