世界は称賛に値する

日記を書きます

近隣で一番おおきい本屋(な気がするところ)に寄って買った(『俳句・川柳・短歌の教科書』『知的トレーニングの技術』)

▼▼散歩してて、本を買って喫茶店でゆったりしよう、と思った。買い物した。

50歳からはじめる俳句・川柳・短歌の教科書

50歳からはじめる俳句・川柳・短歌の教科書

▼▼前にも立ち読みしたけど、線引きが結局気になっていて、買った。▼▼ほんとうに線引きを意識してしまう。短歌/俳句/川柳に限らず、区切りは気にしがちだ。気にするのが好きだ、って言ってしまってもよい。なんでこんなに気にするんだろう。領域侵犯を心配してるのかなあ。▼▼状況を理解した上での、あえての、境界線を踏み越えてるか踏み越えてないかのところに挑戦してみせる、っていうのが好き、っていうのがあって、だからこそ、境界線を最初に理解しておかないと遊べないよ? 的なことを想定してんのかなとも思った。遊びと快楽の下準備。

知的トレーニングの技術〔完全独習版〕 (ちくま学芸文庫)

知的トレーニングの技術〔完全独習版〕 (ちくま学芸文庫)

▼▼以下二つの記事を読んだ影響で買った。
世界の動きを「読める」ようになり、人生を「意味づける」為に──『知的トレーニングの技術』 - 基本読書
読書猿ブログはこの一冊から始まった:『知的トレーニングの技術』復活を知らせ再び強く勧める 読書猿Classic: between / beyond readers
▼▼実際、軽く読んでみて、確かに明らかによい雰囲気じゃん、とも思った。▼▼名著なのに絶版なんだよねえ、っていう残念無念な気持ちを、書痴的に生きてると、時々喰らうのだけど、復刊したよー、という報告も、わりと同じくらい得られる。▼▼ので、たまに蘇ってきてくれる名著ばかり読んでれば絶版に嘆いてる暇とかないんじゃない? っていう理解は、まあまあ持てている気がする。▼▼持てているのに、判っているのに、嘆き感が勝手に燃えさかってしまうことがたまにあって、困るんだけど……。獲得困難だからこそ欲しがる性、を宥められなくなる瞬間があるのだった。というか結構あるねえ……。