物理学比喩、化学比喩

▼▼物理学や化学を活かした比喩が好きだ。が、比喩としてこのあたりが浮かんだ時、最初は「実際の現象」や「実験する時の映像や絵や図」が思い浮かんでることが多くて、言語変換に手間がかかったりする。理論名や実験名が判らない時なら尚更だ。
▼▼理論名や実験名が出てきてくれたら簡潔に書き終われるのだけど、出てこない時は現象の動き自体を説明する羽目になるから──説明したくなってしまうから、説明文を記述してると──してるうちに、映像や絵に対するピントが少しずつズレてきて、少しずつ見通しづらくなってきて、苦労する、というような印象を持っているのだった。
▼▼頭の中に浮かんだ映像を見ながら言葉を出していくのってわりと大変、って話だ。
▼▼けど、現実を踏まえて思考する、ような時って、脳内じゃおおむね映像的なものを相手にしてるんじゃないの? 視覚情報使って考えてるじゃん。同じことじゃないの? なんていうツッコミが思い浮かんだりもしたけど──。
▼▼うーん。
▼▼おそらく、普段は、思い浮かんでる映像内の要素それぞれの呼び名、というのを、ほとんど知ってるので、思考というものを始める前に、まず、名前変換機構によって「記憶や映像の全体」を言葉にしてみてから──フォーマット変換、エンコード、コンパイラにかける、的なことで、下ごしらえしてみせてから、考えるという行動を始めてる、なんてふうになってるんじゃないかなー、と思ったりした。▼▼まあ仮説だ。
▼▼言語化プロセス、の中には「思考じゃないのもある」ってことになるのかい? ってツッコミも思い浮かんで、ああー、って瞬間的には思ったけど、いやでもまあ林檎を見かけて「林檎だ」Twitter眺めて「Twitterだ」って言葉を頭に出す挙動については、思考ではないだろ、と納得した。▼▼名前を呼ぶ、のは思考ではない気がする。
▼▼気化熱とか凝固点降下、あたりの現象を思い浮かべつつこの文章は書かれた。