JAROってなんじゃろ

▼▼うそおおげさまぎらわしい、を是正せんとする「日本広告審査機構」の存在や、そういったものに関する法律の、必要性、つまり、人間社会になぜそういうものが出来ていったのか、というようなことが、子どもの頃は、いまいち判っていなかった。判っていなかったのを憶えている。「日本広告審査機構」のテレビCMをぼんやりした顔で眺めていた。販売の構造上(購入は対価が要り、返品には手間がかかり、物によっては消費したら消えてなくなる)、だから事前情報の段階でならかなりの嘘が可能になるし、嘘とは言い切れないような曖昧な言葉による過大広告、誇張表現を使うことさえ出来るし、そうすると言い逃れもしやすい、誤魔化しやすいし逃げやすい、詐欺や詐欺紛いがありうる、というような物事が理解できていなかった。
▼▼インターネットが見せる自由さに憧れていたところ、素敵だと思っていたところはあるのだけど、インターネットが切り拓いた自由さが強く影響を与えているものって――インターネットの自由さが気持ちよく解放してくれたものって、つまり(今は)「うそ、おおげさ、まぎらわしい、に対する抑制」になってしまっているのでは、と、発想した。今新たに拓かれた自由、を見ようとすると、え、ここかー、ってなりそう、と思った。



▼▼いや、日本広告審査機構が出来るまでの経緯、というものがこれまでの人間社会にも当然あるわけだし、基本的な歴史の流れとして、そういった抑制、自制、というものがない時期、というのがあるのは当然なのかなあ。混乱から秩序へ。そのあいだの自由な、しかし大変な、時期。
▼▼インターネットが最初に見せてくれた自由さ、と、今見せてくれている自由さ、の違いの話をしているのであって、つまりそういうことではない気もする。