インターネットの気持ちたち

▼▼ツイッターで誰かにリプライするのも、ブログで言及記事を書くのも、以前より怖れなくなった。個人的な趣味嗜好の問題として少なめなところはあるけど、うーん、迷惑かもね、なんていう気持ちで、迷ってやめる、ということは、やっぱり昔より減った(減った、なので、まああるはあるんだけど)。ほんとによく思っていたのだ。減ってくれたのは、なんていうか、普通とか自然とか言える雰囲気が出てきてくれたからだろう。以前は普通とも自然とも思えていなかった。街中で急に隣の知らない人に話しかけるくらいの違和があったのである。
▼▼とはいえ、考えすぎだろ、というところも確実にあったし、ビビってるだけ、コミュニケーション的失敗(変なこと言ってしまった、変なふうに思われたくない)を怖れて安全圏に引きこもってるだけ、というところもあったし、仲良くなってる人に対して羨ましく思ったりしているところもあった。
▼▼そういう面で、はてなスター、が出てきてくれた時の、すてき! って感覚は、間違いなくあったと思う。引っ込み思案にとっての幸せツールの誕生であった。
▼▼ちょっとずつ皆がインターネットに慣れてきて、ちょっとずつ皆のインターネットごしの人との間柄に対する感覚が変わってきて、話しかけても言及してもそんな異質な雰囲気は出なくなった。出なくなった感じに変わってきたと思う。まあ、いまでもちょっとビビっている瞬間があったりもするけれど、でも、以前とはなんとなく違う感覚がある。人目を気にしなくても平気な状況が内面化してくれた、って感じかな……。失敗を怖れるところは変わらないけどやってること自体のおかしさは考えなくなった、感じ。
▼▼っていうのを助走にしてなんか書こうと思っていた気がするのだけど忘れた。
▼▼助走にする、補助線にする、は違う感じで、面白いな。
▼▼インターネットでのコミュニケーションのハードルは下がっていった。少なくともじぶんの中ではそういう感覚で、このあたりは、個人ホームページ、テキストサイト、などが、ミクシーやブログ、ツイッター、と流れてきた流れに通ずるんだろうと思っている。実際のところコミュニケーションに限らず、参戦するハードルが、下がっていった。始めやすくなった。気軽に、お手軽に、安易に、安直に、無論そういった風情じゃないところも含めて、とにかく、やり始めるための入口がおおきくなった。
▼▼限られた人達がやっていて、でもそのうちに、間口がおおきくなっていって、変わっていく。
▼▼テキストサイトとブログ、アルファブロガーとサードブロガー、あたりの話に繋げたいと思ってたはずなのだけど、なんかまとまらなくなったな。
▼▼フォント弄り系、オモロ系、あたりの風味と、WEB日記や日常雑記を主体とする「テキスト庵」とかにまつわる風味が、かつてはあって――かつてからあってそういう、「面白いことを書きますみんな読んでー」っていうのと、日々のことをちょこちょこ書いてますー、っていう分かれ目は、ずっとある。境界線が曖昧なところがあるにせよ、まあまああると思う。
▼▼なんすかねー。このあたりこのあたりの思想的な対立(っぽい雰囲気)が結局ずっと続いてる気がするのは、なんなの? 人間のどのへんの問題なんすかね? というようなことを思っているというか感じているのかなー。人類は大別するとどちらかを好む人種に分かれる、みたいなことなわけ? というか(そしてそんな雑な分けかたあります? というか……)。あと、実はこのあたりの対立の風景って実はちょこちょこ書き換わってきているのかなあ、というのも思ってそうだな。じぶんの勘違いと、勘違いしてるならしてるで何を見誤ってるのかを考えたがっている。
▼▼かつての面白いことを言おうとしていた気持ちたちと、お金を稼ごうブログで稼ごうみたいな気持ちたちと、日々、日常を、考えを、言葉で書くこと好きなんだ、みたいな気持ちたちと(すでに三つに分けてるんだけど飛躍してるだろ……)、っていうのを、なんかもうちょっと、小気味よい言葉で明示させてみたい欲がある。