なんだか、使いかたが、わかる!(異能のアフォーダンス)

▼▼異能を獲得した瞬間の最初の戦闘や、伝説の戦闘ロボットに搭乗した場面、などを空想してみた時に、最も強く引っ掛かりを覚えてしまうのが、なんだか判らないけど、使いかたが――戦いかたが、わかるぞ!(頭の中に流れ込んでくる!)(いきなり使える、いきなり動かせる、いきなり戦える)、というような描写で語られがちなところで、えーとまあ、つまり、なんとなく判る! という謎の現象を空想の中に組み込みたくないぞ、と思ってしまうところがあるのだった。▼▼というところに関する理屈がないことに対しては、比較的強く違和を覚えがちだ。


▼▼なんだか判らないけど、判る! なんてふうになったことないからねえ、経験がないので想像ができない。納得できてない。そんなものを空想に素直に組み込めませんよ、ということかなあ、と思ったのだけど、そうでもないかな、って気もした。類似した経験がなくても、理屈が通っていれば、あるいは、現象が思い浮かべられれば、想像できる、空想できる、なんとなく納得しちゃってる、っていうこともあるかと思ったからだ。▼▼なので、経験から想像してみることができる、ということとは別のところで、「なんだかわかるぞ!」っていうことが好きじゃないんじゃないかなあ。


▼▼ユーザーインターフェースの理想、というか、直観的に判る、アフォーダンス(デザイン的な意味のほう)、iPhoneの思想、みたいなところの話において、なんとなく、判ってしまう――文化が歴史、子供の頃からの教え、などが文脈として脳内にあって、そのあたりの琴線に触れることで、なんとなく、判ってしまう、という切り口があるかと思うのだけど、このへんが「類似した経験」なんじゃないの? ということも思った。なんとなく触ってたら判る、という「iPhone的な在りかた」を、踏襲して、想像してみたら? 想像できるんじゃない? って考えてみた。
▼▼武器、ロボット、異能、戦いかた、が、なぜか判る、に関して、iPhone的な「使いかたが判る」を原型に想像するのって、武器やロボットくらいが関の山じゃん? って気もした。手に入れた異能が「アフォーダンス」的に「判りやすかった」りするんだろうか。