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意味スイッチング

▼▼別々の趣味領域の中で「壁ドン」という言葉が発生して(部屋で騒いでる時なんかに横の部屋や上の部屋から叩かれるやつ、と、恋愛の駆け引きのような状況の中で壁に押しつけるようにして迫る時のやつ)、生存競争のようなものが起きているなあ、と、けっこう興味深く観察していたのだけど、結局どうなったのかは、謎だ。というか、まだ戦っている最中なのかなー。まあ近々の認識だと「好きな人に迫る時のやつ」のほうが優勢っぽくは見えている気もしたけれど。
▼▼インターネットスラングの生存競争、と言えるだろう。時々見かける。好きだ。
▼▼「エモい」も、意味が――源流が――使用空間が、二つあるようだ、なんて思いながら観測していたのだけど、こちらも最近は片方ばかり見るようになったので、お、勝敗が決まったのかな? と思ってみたりもしている。とはいえ、もともと一方を見る機会のほうが多かったようにも思うので、観測範囲による偏りがより拡がったというだけで、もう一方の意味合いのほうも、別の空間では、ぜんぜん元気にしているのかもしれない(まだまだ決着はついてないのかもしれない)。
▼▼最近だと「沼」が意識されている。二つの意味のうち片方が蔑称なせいで、どちらの意味なのかうまく見通せないような文章(どちらとも取れる文章)に出くわすと、多少、困っていたりもする。特にニコニコ動画のコメントなんかで見かけると、文章ではなく単語のみの形状で「沼」が登場してきたりするため、これってどっちの意味合いなんだろうなー、って毎回迷う。文章的な文脈の追いかたができなくて、動画の内容と周囲のコメントを眺めながら、文脈を形作る作業が始まる。
▼▼まあでも、困るのも迷うのも好きって言えば好き、なのだ。文脈を見通してみよう、としているのは楽しい。どっちの意味なんだろう、と困っている時に――困っている時にこそ、二つの意味が――二つの景色が、同時に見えてくるような感覚があったりもして、そのあたりが好き、と言ってもよいだろう。どっちの意味合いを使っても文章としての意味は通る。けど、どちらを当て嵌めるかで、言ってることが、まったく変わる。話が別物になる。時には正反対になったりするし、あるいは、反対とすら言えないような、まるで違う話題が立ち並んだりする。という、意味空間のスイッチングを頭の中でしてるのが、好きだ。楽しい。