写実絵画のホキ美術館に行ってきた

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▼▼写真の台頭によって写実的な絵画と同等のものがかなりお手軽に作れるようになってしまった、からと言って、写実的絵画なんて駄目駄目だ、無意味だ無価値だ、ってことにはならないんじゃないの……? っていうようなことを考えながら、鑑賞していたかと思う。だから、近年になって、ハイパーリアリズム、という、むしろ写真に迫ってしまおうぜ、って切り口が出てきたことも、判る気はした。
▼▼けどまあ、物差し無しに、何でもよい──何でもあり──何だって素敵だ、って褒めまくることもまた、芸術とは違うだろ、っていうのも、当然判るんだよなー。
▼▼以前すでにやられていて、以前もう飽きられていて、判りやすいこと判りきったこと判ったと思われていること、を、一人勝手に繰り返されていても、一回目と同じようには褒められないよ……、なんてことは、当然だろ、とも思う。芸術空間的に、見下されるものは、ありうる。
▼▼芸術にも、多分に、社会性に関係する側面があって、つまり、人に認められないと駄目なところがあって、自己満足だけじゃやっていけない、というのは、判る。無価値だ無意味だ、という言葉が出てくる空間があることは、判る。


▼▼というような前提を踏まえつつ、個人的な相性や好き嫌いなどを織り交ぜながら、無邪気に楽しく見たり、楽しめない理由を探してみたり、びっくりしたり、褒めたり貶したり、してればよいのだろう、というようなことを考えながら、鑑賞していたのだった。
▼▼現代的な価値、芸術的な意味、じぶんの経験との響き合わせ、などなどだ。


▼▼まあ余談だけど、油絵を生で観る時の感覚と写真を比較するのは、よく判らない、ような、とは思った。油絵の質感が好きなせいだ。質感だけで御飯が食える。
▼▼判りやすさ、というものが毀損を喰らうの、判らないというか、いやまあ、無論判るのだけど、でも、さも当然であるかのようには言いたくない、っていうのが、かなり強くあって、このあたりを、如何に換言するか、誤魔化すか、遠回しに嫌がってみせるか、なんてことを念頭に置きながら、美術館感想文を書いてしまった気はする、のだった。