世界は称賛に値する

日記を書きます

人生の難題、ひとつながり

▼▼じぶんにとっての、人生の難題というか、世界の大問題というか、意識と認識の引き寄せられるところ、といったような物事を、しげしげじっくり、丁寧に見取ろうとしてみせた時に、中心に来るであろう問題のまわりに、それにまつわる──それに関わる、様々なものが──細々としたものが、付随してくるように思う。してくるんじゃないかな、と思える。達成したいことや欲するもの、理想像と経験則、苦手なこと、嫌な記憶、なぜか気になっちゃうこと、苛立ってしまうこと、などなどがごろごろくっついた、塊魂が、まあ、思い浮かんでくる気がする。
▼▼綺麗なまんまるが「ぼくの大問題」として顕れることってなさそう、というか。


▼▼という、問題ひとつなぎ、認識ひとつなぎ、が、おのおのの人間で異なっており、こういうところの違いが、価値観や人生観、意見、の齟齬、として立ち顕れてくるんじゃないかなあ、というようなことを、思ったりする。ので、ぼくにとっての大問題、世界や人類、人生、あるいは、日常、自我、家族、仲間、社会、歴史、などなどを背景にした、気になっちゃうものたちの、合成物、キメラ、みたいなものを、無茶苦茶に、ぐちゃぐちゃに、粗出ししてみるのもよいというか、出せるだけ出すのもよいのではというか、変に整理や区分しないで出してみることも、また、大切だったりするんじゃないだろうか、いやせめて、時々はアリなのでは、というようなことも思ったりもする次第であった。


▼▼大問題認識が、どこまで繋がっていってしまうか、拡がっていってしまうか。▼▼ここの「繋がっちゃうし拡がっちゃう」を、判りやすさや使いやすさを意識して変に切り分けてしまうと、なんか、問題の生鮮さが死ぬのでは、という印象があるのだ。