世界は称賛に値する

日記を書きます

普通に、平凡に、単純に、見えるが、実は上質

▼▼一見、まるで普通であるかのように見える。あんまり見栄えのしない地味で素朴な出来栄えに思える。ごくごくシンプルで、特筆するようなところなんてないぞ、とすら感じられる。が、しかしその実、無駄なものだけがすべて削ぎ落とされていて――ほんとうに極限まで洗練されており、しかも、ごくごく平凡なものかのように見えてしまう「必要最低限」残されている「要素」の――線の、音の、香りや味わいの、行動の、ひとつひとつが、実はものすごい栄養素を持っており、高品質なものだけが選び抜かれている。華美と煌びやかさが見せるスゴさを、こういった「地味に見えつつも、繊細なスゴさ」が、時に凌駕する。シンプルなもののほうが、むしろ奥深いものであり、そういったものが理解できるようになった時、ようやく「上級者」になれる。

▼▼なんてあたりの言説について、判るような判らないような理解がずっとあって、若干苦手気味というか、なんか迷うというか、困ってしまって人の話を聞きたがってしまうような気持ちが、わりとあったりする。指導願っている雰囲気がある。

▼▼場合による、物による、というのは当然かと思うので、おのおのが「こういうところのもの、この作品、は、実際そういう傾向あるじゃん」と思えているところの経験談や経験則が聞きたいのだ――聞いて具体例を集めたいのだ、というのが、あるのだった。

▼▼具体例が一定以上、脳内にコレクションできると、生活の中で、その境界線に迷った時に、いつでも具体例が参照できるようになる――沢山のコレクションから改めて抽象して「理解」し直すことができる。▼▼という時に、理解できましたよー、って顔がしやすくなったりするからだ。理解のためのルールを再発行するための材料が、いつでも揃っていますよ、って感覚が出てくると、安心する。