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誤情報ジョーク

▼▼虚構とジョーク。嘘とジョーク。勘違いとジョーク。誇張や極端とジョーク。誤情報とジョーク。▼▼などなどにおいて――
▼▼如何なるものが――如何なるおおきさ以上のものが――如何なる種類のものが、世界の平和を――人類の幸福を――あなたやわたしの笑顔を、乱すのか――奪うのか――減らしうるのか――欠損させる可能性を持つのか。
▼▼ということの、感覚が、人によって違う。閾値が違う。頭の中のイメージが――今後の世界の変わり様(の確率)が、そして、理想とする情景が、違う。
▼▼平気じゃん? と、駄目だろ、の(そして、別にどうでもいいでしょ、の)、出てきかたが変わってくる。


▼▼ぼくが平気だと思っていて、相手が不穏だと言っている、ような時に(もしくは、逆の時に)、互いの頭の中に浮かんでいる世界像――今後のシミュレーション、が、そもそも異なる、ってことを踏まえないと、話が進まないぞ――対話が成り行かないぞ、ということについて、改めて、考えていたのだった。
▼▼相手の頭の中の世界に足を踏み入れてみる、ということに対する、覚悟や勇気、そしてまた、相手を尊重する気持ち、および、丁寧な思考、などが、必要になるけど、大丈夫かいな? ということについて。▼▼何を些細だと思い、何を重大だと思うか。▼▼何を些細だと思える経験をしてきて、何を重大だと感じる身体を育んできてしまっているか。


▼▼嘘情報が面白さには必須だ、ってことは無論なかろうけれど、嘘情報を使って面白さを構成してみせるようなことは、まあ、できるだろう。場合によるだろうけど、なくはないだろう。
▼▼とはいえ、嘘情報というのは、けっこう、突っ込まれる。特にインターネット上では顕著にそう見える。そのこと自体は――警戒や自警が成されていること自体は、素敵だなあ、って思えているのだけど、しかし、ではじゃあ、ぜんぶの誤情報を糾弾していくことがよいのか? 妥当なのか? と問い直してみえると、そこまでではないのでは……、とも、思える。思えてしまう。ぼくにとって「面白くて、かつ、世界にそんな被害を与えるようなものでもない、さらに言えば、ほとんどの人は、これが「嘘」であり「ジョーク」である、と判るはずだ、なので、存在は許してもよいはず」と思えるものが、やはりあって、そこに対して、糾弾しちゃえー、とはまあ、思いにくかったりする。
▼▼このあたりのことを改めて整理整頓しようと思って、考えていた。