よく判らん言葉がどういう経緯で産まれ育ってきたのか

▼▼綺麗に理解できていない概念を改めて理解するために、その概念が辿ってきたであろう歴史のようなものを追う、ということを、時々はしたりする。対象が来たるところを知ることによって、確かに、諸々、明瞭になっていったりする。対象の概念が辿ってきた道のりを知ることで、凸凹具合が見通せるようになるのだろう。物事が持つ謎の効能──形骸化した機能、が、腑に落ちたりもする。
▼▼というふうに、来歴を学んだことで改めて理解し直してみた概念の定義/本質/境界線、と、理解し直してみる前に抱いていた粗雑な頃の理解、が、同一線上のもの、に置かれるとは限らないのだけど──当初思ってたやつと対象の歴史を調べてみて理解したやつが、綺麗に繋ってきてくれるとは限らないのだけど──。
▼▼でもまあ、実際は、ぜんぜん繋がってこないことってあんまりなくて──まるっきり勘違いしてしまっていて、対象の概念が持つ歴史の流れ、とは異なる、断絶した現代的理解を抱いてしまっていたことってあんまりなくて、現代における扱われかたってのはやっぱり細々とではあっても歴史と繋がっているんだなー、とか、普段自然に過ごしているだけでも歴史の先端に触れていることになってくれるんだなー、なんて、まあ、思うこともあるのであった。
▼▼世の中で過ごしていて、知ることのできている諸々って、わりと歴史の線上に置けるし、置いて眺めると楽しいものなのだな、ってことが、再認識できる瞬間がある。
▼▼というより何より、物事や概念が辿ってきた歴史を調べてみて、対象の輪郭が明瞭になった時に、当初頭の中にあった理解、と繋ってきてくれると、非常に気持ちよい! ということを思ったりしたのだった。▼▼んだけど、これって、いわゆる──単なる、学問のおもしろさ、理解のおもしろさ、の話なんじゃないかなー、とも思った。
▼▼いやでも、ショベルカーのWikipediaを眺めてて、ああこの時代にこういう機能が要請されたからこういう開発が行なわれて、しかも今も残ってて、でも現代だとほとんど意味なくなっちゃってるんだね……! って理解できて気持ちよくなれるのって、別に「学問のおもしろさ」じゃない気もする……。無論、学問のおもしろさ、ってものの一端だとは思うけど……。歴史のおもしろさ、って言葉にしても違和感あるしな……。一端だとはやはり思うけど……。▼▼でもってショベルカーぜんぜん関係ないけど。▼▼最初、思い浮かべていた言葉は「文学」あたりだった。文学判らんのだ。