二人いたら、その場には、判断基準は二つある、派

▼▼昨日の日記について改めて考えていて──
▼▼二人いたら判断基準は二つあるのが当然派、であるため、二人いるのにこの場にある判断基準は一つだと完全に思っている派、あるいは、一つであるかのように振る舞うことができてしまう(うまくやれれば有利だからねー)派、の人は、苦手なのだ、ってふうに言語化できるかなあ、って思いついた。
▼▼話し合いは、事前に、じゃなくてもよいけど、ぶつかり合う中で、変なところで意見が噛み合わないな? って思ったら、物差し確認しましょうよ、ってふうに、互いの物差しを確認し合って、違いやズレを確認する、という所作が大切だと思っている、作法だと思っている、のだった。平和の下地だとすら思ってる、っていうと誇張だけど、人間に認識機構のありかたを踏まえるなら効果的で効率的なやりかただと思うんだけど……、というようなことを思っている。
▼▼効果や効率を求めてないよ、時間かかってよいじゃん、ぐだぐだ混乱してるのが続くのがよいのだ、納得し合おうとしてない、物差しの違いを判り合ってもしょうがない、じぶんの意見を通すためだ、相手に言うことを聞かせられればよいのだ、なんていう物差しの持ち主相手なら、だからまあ、無効だろう。
▼▼っていう物差しのズレなら、極端と極端でまだ判りやすいけど、ほんとうにちょっとしたズレ、が、険悪空気の元凶になっている、ような時もあると思うしねえ……。