世界は称賛に値する

日記を書きます

複数の理解が、一つに統一される、アイデア

で、ゲームの話に戻っていうと、多くの場合、
おもしろさが足りなくて悩むわけです。
当然ネタがたくさん仕込まれてるほど、
おもしろいわけだし、人は満足してくれる。
でも一方で、つくるのに割り当てられる
人材の量や時間は有限です。
有限の中で「多いほどいい」って言われたって、
解決できないわけですよね。
でも、ときどき、たったひとつのことをすると、
あっちもよくなって、こっちもよくなって、
さらに予想もしなかった問題まで解決する、
というときがあるんですよ。

そういう「ひとつのこと」を、
宮本さんは「ないか、ないか」って
いつも考えてるんです。
──「アイデアというのはなにか?01」ほぼ日刊イトイ新聞
http://www.1101.com/iwata/2007-08-31.html

▼▼別々の場所で聞いてきていて、別々のものとして記憶していた、ある物事の話が、突然、一つに繋がることがある──繋げられる架け橋のような閃きが訪れることがある、と思った。対象となる物事が、曖昧であれば曖昧であるほど、語り手おのおのによって、観測してる側面──話す時に強調したくなる側面、が異なっていて、得られる解説、聞けるエピソード、学べる意見が、不統一に見えることが多い、んだろう。で、ごく稀に、複数の側面の話から、全体像が見通せる閃きまで、到達できることがあるのだった。
▼▼各種領域の入門書を数冊ほど読み比べてみるのが好き、って嗜好があるので、つまり前述のような閃きの気持ちよさを求めてたりするのかな、と思ったりした。▼▼初学者に対する説明って、解説者によって違うことが多いけど、数段階歩みを進めてみると、最初の段階のことを異なる切り口で書いてただけかー、と判ることが多い。理解しやすくて気持ちよくなれやすい。入門書乱読が趣味になりうる気持ちよさ、って思った。
▼▼っていうようなことを考えていたら、以前聞いたマリオシリーズの宮本さんの「アイデア」に関する話を思い出したので、冒頭にて引用してみた。改めて記事の内容を読み返してみたら、宮本さんは「ゲームに限って言えば」という前提を付けて「アイデア」の説明をされていたようなので、少し驚いた。記憶が雑だったかと思う。じぶんの記憶の中では、もう完全に「アイデア」全体にまつわる話になってしまっていて、ゲームに限らなくなっていた。ゲームに限って言えば、は大切だろう、と思い直した。