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読書は「ごはんを食べる」で比喩できない可能性高そう

思考記

▼▼物理的吸収、生理学的吸収、栄養学的吸収などなどと、意味的吸収や解釈的吸収というものを、安易に並置させてしまうのがよくないのかもしれないなー、とか、改めて少し思った。▼▼読書的な摂取を「ごはんを食べる」で比喩するのは危うそうだよー、というか。
▼▼解釈によって意味合いが変わってくる、ということを──受け手次第なところがあるのだ、ということを、このあたりに関する要点と見るとして(ごはんを食べる時に「解釈の余地」なんてものは(おそらく)ないから、解釈如何によってよくも悪くもなるであろう読書と安易に並置はできないのでは? ということを今は考えているので)、関連する話として、理解、学問、理論、といった事柄を、どのあたりに位置づけるか、っていうことも、いろいろと問題にはなってきそうだなー、ってことも考えた。
▼▼学問的理解と解釈の関係……。▼▼理解する、っていう行為における「解釈」「解釈の余地」ってどういうふうに思っておくとよいのか……。▼▼物語の摂取を「ごはんを食べる」と比べるのはちょっと、とも思うけど、知識の摂取は「ごはんと食べる」と、ほのかに近いような? 物語よりは相対的に近いと言えそう?──解釈の余地が物語よりは少なそうな雰囲気あるし……、とかを考えてしまったのだった。