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生きかたを否定できる理由、には、毒でさえならない(という感覚かな)

思考記 ★★★★★

▼▼こう考えたほうが気が楽、こう思っておいたほうが妥当で順当、こういう生きかたのほうが安心、というような、明らかにこっちの選択のほうが(人間にとって? あなたにとって? わたしにとって?)よさそうですけど……、というような範囲のものがあると思うのだけど、しかしだからといって、だからこれが正しい、とは、まったく言いたくなくて、実際にそこの選択で「苦しんで」いる人が目の前にいたとしても――苦しんでいるかように見受けられたとしても、それでも、こっちのほうが「正しい」のです……! とは、言いたくない。言いたくない感じがすごくある。
▼▼生きかたに対して「正しさ」という「物差し」を持ち出す、というか「言葉」を持ち出すこと自体が、好きじゃない、のかな……。
▼▼たとえもし、じぶん以外ほぼすべての人類がそれによって「苦しい」と感じているようなものであったとしても――してさえ、しかしそれを「正しいもの」と見做してはならない、と、感じてしまうところがある、という感じか。


▼▼うーん、少し言い換える。
▼▼人類にとって「毒」にしかならない「概念」や「考えかた」があって、誰もがその毒を認識機構の中に組み込んでしまっていて苦しんでいて、しかも、その毒をなんとか解毒できる薬があったとしても、その解毒剤を飲むかどうか、ってことにおいて、飲むことが正しい、正しいから飲め、飲まないあなたは正しくない、とは言いたくない、のだ。


▼▼どんな毒のような概念も、扱いかた次第で、薬になる、という話とは、別。