同意の量が少なく見える(すっごいわかりますー)

▼▼ものすっごく同意です、という時の「すっごいわかるー!」というような言葉が、比較的、省略されがちな空間に棲息している。しているかと思った。▼▼このインターネットという空間がそうなりがちなのだ、と、初めは思いついたのだけど、最近ちょこちょこ見かける「互助会」という話題が見せている雰囲気(同意するための言語行為がわりと沢山うかがえる印象)などを考慮するなら、文化圏による、生息圏による、と考えたほうがよさそう、なのかなー。すっごいわかりますー、って言いまくっている人間関係も、ぜんぜんある、場所によるじゃん、って思った。
▼▼というのと同じように、非インターネット空間(現実? リアル?)であっても、結局は、所属する文化圏や生息圏による、周辺人達の雰囲気や生き様や思想によって「同意」が「出てくる」量が変わる。同意をすぐに表明する人達も、なんとなく避ける人達も、単に、いる。
▼▼いるけれど、やっぱり、非インターネット空間よりインターネット空間のほうが「同意を口にする」行為が重くなりがち、っぽくはあるなあ。インターネット空間上でのほうが同意言葉が重くなる。重さが、目立つ――気になる――意識される。
▼▼まあ、残る、からなあ。


▼▼ある言説における賛同者と異論者を――その数を、バードウォッチング的に計測してみた時、異論を持つ人のほうが、やっぱり多く見えちゃう、んだよなー、見た目通りの賛同/反対の比率にはならないし、サイレントマジョリティというものを考慮せなばならなくなる、ということについて、改めて考えていたのだった。
▼▼というか、じぶんが実際に、単なる同意というものをあんまり出さないようにしているせいで、観測者には賛同者を少なく見せてしまっているだろう、いるんじゃないか、ということについて、うーん、ここ、改善したほうがよかったりするのでは? っていうことが、少し気になったのだった。同意者が少なく見えること自体に対して、よい、とはあんまり思ってないのだ。


▼▼中空に消えゆく音声と違って、インターネット上に書かれた文字は、消えづらい。だから、簡単な同意をあっさり書き残すとその量はどんどん増えていく。いくだろう。そしてまた、だからこそ、制限を厳しくして「ほんとうに心からの強い同意」だけを「残す」ほうがよいに違いない、なんて考えて、いたりもする――いるところはあるけれど――そういった空気を感じる人達を好んでいるところもあるけれど、でも、それによって、賛同と反対の比率がズレて見えてしまう、というのも、なんとなく好きになれていないところがあって――納得しきれていないところがあって、そのへんって、結局、どういったスタンスやバランスがいいんだろう、素敵なスタンスやバランスを「決意」するための「思想」みたいなものが何かあったりするかなあ、って考えていた、のだった。
▼▼Twitterが、はてなスターやはてなブックマークが、そういった「人と人を繋いでいるサービス」が、結局、そのあたりを既定している、というのも、やっぱりあるしなー。個人の思想だけじゃ決まらないところもある。