動画的演出の記憶の現代性

▼▼物事に初めて挑戦するような時に、基本的には、かつて物語なんかで見た近似の情景が浮かぶことが多い。物語で得た知識を活かして予測したりしている。物語記憶が参考資料として処理される。画像データや映像データによる物理的情景の想像、や、文章データによる心理的情景の想像、が、稼働を始める。▼▼物語内に嘘や勘違いが混じっていた時に、如何なる問題が起こるんだろうか、ということについて改めて考えていて、物語がこのあたりで活かされている時に困ることがありうるかな、と思ったのだった。
▼▼実写動画やアニメーション動画といった「映像」は、技術の進歩によって出てきたものであり、つまり、遥か昔はなかったもののはずである。なので、映像的演出が記憶の中に残っているのって、稀有な現象、というか、現代特有な現象のはずだよな、というようなことも思ったりもした。初めての行動を取ろうとして事前に想像してみた時に「映像的演出の記憶」が影響してきてしまうのって、人類的には最近の出来事になるんじゃないかな、と思ったのだ。▼▼人を殴ろうとする想像で「デュクシ!」という効果音が響くような「想像」ができてしまうのって、現代だけなんじゃないか、と思った。▼▼けど、効果音に限定するなら、絵、言葉、声、つまり、紙芝居なんかで「想像のための記憶」として影響してきたことはあったはずか、とも思った。