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人生の話は抽象しかない?

思考記 雑談記

▼▼人生に関する大切な話をしようとするとどうしても抽象的な話になる?――抽象的な言葉や概念を多く使うことによって人生というものの核心に近づいてゆけるというような形の可能性もある?――具体的な言葉や概念で人生の大切なところを語るのはただ単に難しいから、基本的には抽象的になる、って形状もありうる? という三つの疑問文を思いつけたのだけど、ともかくいずれにせよ、人生の話をしようとすると、やはり、難しいっぽい話になるし、抽象的な話になる、ならざるを得ないところがある――ある? という疑問を思って、実際どうなんだろうなー、と考えていた。▼▼ぼくとあなたの共通言語の問題というか、人生なんてものに対しては「抽象化したもの」を通してしか語れない、という形もありうるんじゃない? とも思った。

(間)

▼▼基本的に「それしかない」っぽいものに対しては、いったん、疑義を差し挟んでおきたい、というか、喧嘩売っておきたい、というのはある。あるって言えそうかな。ほんとうに「それしかない」みたいだ、と判れば、それでよい、ってところももちろんあるけれど。▼▼いくつかやりかたがあるのならば、それらをある程度、把握しておきたいぞ、という欲求だと言える。そのほうが、いろいろ、役に立つはず、と思っているのだろう。いろんな局面に対応できる。いろいろ手助けできるし、してもらうこともできる。だから、ほんとうに「それしかない」かどうかは、いったん確認しておきたい。おかねばなるまい、って思ってしまっているところがある。それしかなさそうだ、ってことが試行錯誤の積み重ねによって体感できてれば、それはそれで、やりようがある、というか、それを踏まえてやりかたを変えられそうにも思えるし。
▼▼抽象的なことで人生を語る以外のやりかたが、あるのなら、それを知っていれば、役に立つ場面もあるだろう。抽象的な言葉が必須になる理由があるのなら、それも知っていれば、また、何かができたりもするだろう。そういう応用への手立て、プランBがあることの安心、そういうものを欲しがるところはある。