世界は称賛に値する

日記を書きます

書き手側のジャンル設計

▼▼ライトノベル/児童文学/ジュブナイル/ヤングアダルト、というようなジャンルにおける「線引きの難しさ」の話というのがあって(あと、純文学とかエンターテインメントあたりの線引きの話もあるけど)、わりと楽しく聞いていたりもするんだけど、特に興味があるのは、小説家側――書き手側、の脳内における「線の引きかた」の話で、なんというか、うーん、確かに、綺麗に定義できそうにはないよなあ、というふうには思うのだけど、でもまあ、書き手側の、計画段階において、そのへんを曖昧なままにしている――まったく判断すらすることなく進めてしまっている、っていうこともそうそうないだろう、とも思ったりするので(無論、人による、というかプロというものに夢を抱きすぎ、ということもあるだろうけれど……)、だから要するに、ライトノベル/児童文学/ジュブナイル/ヤングアダルトといったものを人が書こうとした時に、何をどう決めているのか、如何なる要素を動かそうとしているのか、どうやって特徴付けようとするのか、っていうことに関する話を、聞きたい、というふうに思ったりはするのだった。
▼▼読者や消費者や書店が線引きに困る(曖昧なままでも多少なんとかなるので、改めて精緻に決めようとすると、困る)のはともかく、小説家側が、同じレベルで曖昧なままにしておくことはあんまりないんじゃない?(うーんしかし人によるか……) っていう想像というか期待があって、なんか、そのあたりに、価値というか意味というか、面白さを見てしまうところはあるのだよなー。