ビジネス理論は個人の壁を越えるため(昨日からの続きだけど整理できてるかはアヤシイ)

▼▼じぶん一人の話ばかりしていても「しごと」の話にはならないんだろう、っていうようなことをここ数日の日記で思った。曖昧である。言語化が適切かすら結構疑わしい。じぶん一人の情報だけじゃ駄目──じぶん一人の認識を越えないと駄目──個人的や主観的な判断や理解を超えてゆかないと駄目──迂回でもよいかもだけどとにかく駄目、なんてあたりをぐるぐるしていた。▼▼じぶん以外の人達にも目を向けて、じぶん以外の人間の話もきちんと聞き/多彩な眼差しから情報を収集し、じぶん以外の人達を「目的」的な位置に置いて、じぶん以外の人達と動きうる、ってことが「含まれて」ないと駄目そう。
▼ってあたりに関する「ビジネス技術」が「ファシリテーション」とかなのかなー、って最初は思いついたのだけど──人と話して、情報を引き出したり、やる気を引き起こしたり、閃きやら行動やらを誘発してみたり、するような技術、ばっかりに着目して「これらが『じぶん一人』っていう壁をうまいこと越えてみせるための技術なのだろう」なんて最初は思っちゃってたのだけど、落ち着いて見回してみてたら、いやでもなんかこうさ、ビジネス空間で理論化されたり最適化されたりしてる技術、っていうのは、おおむね「じぶんひとりでウダウダやってるのとは異なる結果をもたらさんとしてくれるもの」なんじゃないか?な? って思えたりしてきた。
▼▼著名なビジネス理論を使ってみるだけでも「個人的経験を積み重ねる」のとは異なる結果が出せるんじゃないか? と思ったのだ。自動的に内側からはみ出る、技術。▼▼というものをせっかく出せていても、こういう観点が今までなかったため、ぜんぜん活かせてなかった、と、まとめられる……、かな……、微妙かな……。言語化危うしだ。