文脈維持を、画面の広さ(での読み返しやすさ)に頼っている

▼▼目の前の一文を書かんとしている時に、その一文が出てくるまでの文脈を頭の中に意識し維持しておく、っていうのは、大変な印象だ。話が飛躍しないよう調整するのってまあまあ困難な印象がある。あまり厳密に沿わせようとしなくてもよいじゃん、丁寧に沿わせようとしてもたいして意味はない、と決めてしまうのも一案だろうとは思っている。何度も何度も振り返るようにして頑張って沿わせるやりかたも当然ながらある。脳の性能がよいので振り返らなくても意識し続けていられるよ、っていう解決策もありうるだろう。


▼▼スマートフォンで文章を書くことになんとなく苦手意識が出来ている、書いたものに納得いかないことが多々あって苦手意識が出来てしまっている、ということについて、このあたりが影響しているのかなあ、って少し思った。
▼▼スマートフォンだと、画面と操作の影響で、比較的、読み返しづらくなっている、のは間違いないと思う。長文ならばなおさらだろう。
▼▼結果として、眼前の一文に至るまでの文脈、を、追うのに──確認するのに、いくらか、手間がかかる。このあたりの手間が認識や結果に影響していそうだなー、と思ったのだった。


▼▼ただでさえ、環境として手間がかかりがち、なのに、慣れていないせいで余計に手間がかかってしまっている、見慣れない手間なので余計に気にかかってしまっている、というようなブーストなんかも、かけてしまっているんじゃなかろうか、とも思った。
▼▼結局、やるだけやって慣れてしまえば、文脈を追う手捌きもうまくなっていき、文脈の追いづらさも気にならなくなってくる、というところはありそうであり、試してればいいんじゃないのー、と思えてきたのであった。