ボードゲーム(パーティゲーム)の、好き嫌いが分かれるところ

▼▼アナログゲームで遊ぶ時に、比較的気にしている「要素」がある。顕著に好き嫌いの分かれるサブジャンル的なところがあるので配慮せねば、と、なんとなく意識しているところがあるのだった。図抜けてツボに嵌まる人種がいる、と同時に、含まれているだけで妙に楽しめなくなる人種がいる、という経験則のあるところ。▼▼まあ、如何なる要素であれ、好き嫌いが分かれますな!っていう面を持つとは思うのだけど、経験的に、ここが分水嶺になったのかな、と想像できているところがあるのであれば、いちおう軽んじずに判断を進めたほうが、多少は「よく」なるだろう。と、まとめ的に挙げてみた。

[1]運や偶然という要素がまったくない、完全情報の、がちがちのロジック勝負に対する好き嫌い、が、一つの分水嶺かな(読み切ってしまえば勝ちが決まる、あるいは、ロジックとして「無駄な手」「悪手」が顕わになりやすく、責められることさえある、ということ周辺にまつわる好き嫌い)

[2]運要素の重要性の濃さ、というか、運要素が勝敗に与える影響の直結具合、に対する好き嫌い(前述した「がちがちのロジック」の単なる逆、ということではなく――運要素が「ある」か「ない」か、という「有無に対する好み」の違いだけでなく、運要素を持つにしても、ゲームに対する組み込まれかたの「種類」があって、その「種類の対する好き嫌い」のほうが、ここでは本題かな)(ただサイコロを振っておおきい目が出たほうが勝利、というゲームがあったら、いやこれべつにおれがやらなくてよくない? なんて思わせてしまうようなゲーム風景って、かなり沢山あるだろう。というのを極北として、どれくらいの「勝敗との関係性」が「ここまでランダムな数字によって勝敗決まっちゃうなら別におれがこれをプレイする意味なんてある?」と思わせてしまうか、どういった種類のランダマイズが「相手が手札の中から「実はこれ持ってるんだよねー」とか言って出してくるような状況なら「わ、オマエそれ持ってたのか、運が悪かったなー、くそー」とかなるけど、これここでサイコロ振らせる意味はなんなん?」なんて思わせてしまうか、というようなことに対する、好みや感性の違い)

[3]攻撃要素がある時、攻撃が「直接攻撃」か「間接攻撃」かによる好き嫌い(誰か一人を「名指しで」「蹴落とす」ことに対する好き嫌い(躊躇いと気持ちよさ))(まあ、気心が知れているか、というようなことで、意識がかなり変容する気はしているけれど)

[4]ブラフ、トラップ、正体隠匿、などの、騙し騙ること、あるいは騙られて騙されることに対する好き嫌い(と許容具合とムカつき具合)(これも種類が分かれて、完全なる嘘発言が必要になるのと、ただ黙ってコマなどを動かしたりするのと、あえて勘違いさせるよう振る舞うのと、ひっそり罠を張って待つのと、そのあたりでも、趣味が分かれる)(嘘を「言う」にしても、数字なりコマやカードの種類で「嘘の情報を言う」のと、明らかに嘘であることを「発言して」信用を取ろうとする、信用されるように丁寧に論理を構築する、そして、その嘘を曝こうとする(人狼とか)、のでは、また好みが別か)

[5]人の性格や嗜好を読む、というような心理戦に対する好き嫌いもあるかなー(ここも気心問題が出るか)。