友情譚好きと重ねるようなボーイズラブ類推

▼▼友情譚がかなり好きだ。相棒モノ/コンビモノ/バディモノ、といった括りでカテゴライズされる物語が好き、という趣味嗜好もたぶん同じところが土台になっている。ヤンキーモノを好きになることが多いのも、同種、同列、同等の趣味嗜好が刺激されがちだから、という面があるかと思う。
▼▼友情譚を読みながら──眼前の物語を「友情譚」として読み取って、面白いよと熱を上げながら、この登場人物ふたりの、会話、人間関係、信頼、精神、かっこいいなー、美しい、好きだ、なんて思っている時に、現状覚えているこの感覚を通じて「ボーイズラブ」的な物語の素敵さを類推してしまってよいのかなー、なんて考えたりすることも、あったりはする。推測できるんじゃないかなと思ってみたり、いやしかし邪推ではないの? と逡巡してみることがある。▼▼まあでも、一部重なるところはある、くらいかな……。
▼▼ボーイズラブ的な愛のささやき、が、友情譚としての「美しい台詞回し」として読解可能だったりはする(こともある)んだろう、とは思える。どちらとして読むのが、正解とか妥当、ってことではないだろうし、ぜんぜん重ならない(どちらの側面も持つものとして受け取れない)ことも当然あるだろうし、このあたりの「重なる範囲」が両者にとって(両者としての)本質ということでもないかとは思うけれど(まあそういうこともあるのだろうけど、そうじゃないこともありうる)。
▼▼ボーイズラブ的な物語に、楽しいな!ってなってることもよくあるけれど、コンビモノやバディモノと「常に」重なるような「好きさ」で見ているのか、って問われたら、いや違う気がする、って言えてしまう雰囲気があるかとも思えてきたので、この問いの立てかたは微妙っぽいなー、という気分になってきた。破綻の様相を呈してきた。このあたりの感覚を通して類推したものを同じと見做すのあやういっぽいなー、とは思えてきた。