世界は称賛に値する

日記を書きます

時間がある時のじぶんと時間がない時のじぶん(判断ミスに気づく余裕があるところまでをじぶんとするのと、初手となる判断までをいったんじぶんとするのと)

▼▼ぼけっとぼやっと書いた文章を、時間を置いて読み返してみた時に、ツッコミどころ満載!ぜんぜん整理出来ていない!論理が破綻!論理が飛躍!とか思って──思えて、改訂してしまうことがあったりするのだけど、というか、一昨日の日記を全面改訂と言ってよいほどおおきく書き換えてしまったのだけど(書いて数日後に読み返して修正するところまでを「日記」の一工程として認識しているところがあり、書き換えるのは常、と言えるし、常でよいかあ、とも思ってはいる)、ぼけっとぼやっと書いた言葉のほうが、自然体、日常、普段、と言えたりするかとも思うため、こうして書き直したものばかり残そうとしているのは、若干ズルくない? と思ってしまうところも、ある(まあ確かに、短慮と浅慮のまま話していたならば、それを話しただろう、とは思うのだけれど、同時に、深慮と深慮のもとで対話をしていたならば、こういう修正にも辿り着いただろう、とも思うので、別にズルイという話でもなくない?という気も、した)(時間がある時とない時の、じぶん、というふうに考えてみて、時間がある時ばかりを前面に出してみせる、ということの、狡さ、というか嘘さ? 虚偽、虚栄、虚妄?)(時間がある時とない時では、どちらが「メイン」なのか、という問いになるのかなー。人間としての「メイン」。人生としての「メイン」)