世界は称賛に値する

日記を書きます

森博嗣のエッセイ読みたくて、二年前のオールスイリをAmazonで買った

オール・スイリ (文春ムック)

オール・スイリ (文春ムック)

 江戸川乱歩も書いていたと思うけれど、最後にオチがあることがミステリィの最大の弱点(欠点)でもある。オチがあるために、作品の重厚さ、価値、芸術性が消え失せてしまうように多くの人が感じる。「なんだ、探偵小説か」と一瞬で「白けて」しまう、ということらしい(僕自身は、そこまでは思わないが、この感覚は理解できる)。たとえば、「我が輩は猫である」の語り手が実は人間で、居候の渾名が「猫」だった、ということが物語の最後で明かされたら、「おお、これは凄い」と膝を打つ人と、「何なんだ、これは」と舌打ちして「二度と夏目漱石など読むか」と思う人がいるだろう。「騙された」だけで、本当に腹を立てて出版社に苦情の電話をかけてくる人だっているのである。
──P.262 ミステリィについて思うこと

 いわゆる普通の俳句と、駄洒落などを盛り込む川柳との比較にも類似しているだろう。芸術的なものは、最初は取っつきにくく、何が良いのか、どこが優れているのか、どう感じれば良いのか、がわかりにくい。なぞなぞ的(すなわち形式的)な技巧を盛り込むことで、この難しさが緩和され、「なるほど」と腑に落ちる読後感をもたらす。それを創る側も、形式的・技巧的なものの方が考えやすい。
 最初はそうなのだ。しかし、多くを読み進むうちに、その創作の「価値」が自分なりに評価できるようになる。結果として、それは「オチ」や「駄洒落」よりも高尚なものとして捉えられている。世間ではそちらの方が芸術性が高いと評価されるのも事実で、そういう感覚が多数だし、困難なものの方が価値が高くなるのは自然だろう。
──P.263 ミステリィについて思うこと

▼▼雑誌の発刊時、立ち読みでこのエッセイを読んで、わりと一目惚れして、iOSアプリ版があったから買ったのに、改めて読もうとしたら終了してて読めなかった。やっぱりこういうことあるし、若干は萎えるねえ……、とか思いつつ、Amazonで中古を買った。森博嗣のエッセイで書籍化されてないのはどうにかして欲しい。同じくらい上遠野浩平の短篇集も出して欲しい。▼▼あとエッセイ内で「最近読んで面白かったミステリィだけど、すぐ絶版になった」ものとして『密猟者たち』を挙げてたけど(最近これがよかった、というのを森博嗣さんが語ってるのは珍しいかと思った)、Kindle化されてた。

密猟者たち (創元コンテンポラリ)

密猟者たち (創元コンテンポラリ)