世界は称賛に値する

日記を書きます

アブストラクトゲームの定義の曖昧

▼▼アナログゲームにおいて、乱数要素がないことと隠匿情報がないことが「アブストラクト」という分類の基準ではないはずであり、真っ当に見るなら、抽象的であることが基準であるはずなのだけど、抽象的なアナログゲームが「乱数要素をあまり持たず」「隠匿情報をあまり持たなかった」せいで、基準が置き換わってしまった気配がある。勘違いと混乱の風味がある分類習慣が出来てしまっている。▼▼というのが、まあなんとなく気になって、まあなんとなく嫌で、別の呼び名、ないのかな、って考えている時があったりもする。
▼▼無いことが基準か、少なければよいあたりが基準か、というところにも、混乱があるかと思う。0と1では大違いと言えるし、当然、0と0.000000000000001でも、まったく別である。というような混乱があって、結局、線引きがなかなか曖昧になっている。▼▼抽象性の濃淡もよく判らないしなあ。将棋やチェスの駒はいちおう意味合いがあって、とはいえ抽象的ではあり、囲碁やオセロの駒は、抽象性マックスなのは間違いなく、意味を解釈可能かもあやしい。だから囲碁やオセロのほうが「アブストラクト」と言ってよい? というか厳密に言うならば、「多少の抽象性」は、如何なるアナログゲームだろうと持っているはずのものであり(現物でないわけで、若干は、抽象化されている)、ぜんぶがぜんぶアブストラクトだ、とも言うことは、いちおう可能、なのだよな……。▼▼といった段階で「抽象度が比較的高いほうのものである」というのが基準になってしまっているのだから、乱数要素や隠匿情報の有無や濃淡にまつわるところの定義がぼんやりしてしまっているのも、多少はしょうがないじゃん、というか、突き詰めるのは無理じゃん、ってことが言えたりは、するのかな。しそうだな。


▼▼うまい言い回し、うまい使いかた、はないものかなあ、と、けっこう継続的に考えてしまっている。まだ考えると思う。まだ気になってしまうと思う。来年というか今後に向けて一回文章として書いておいた。