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サイエンスフィクション的フォーカス

創製記 思考記

▼▼新技術が新世代の意識を変えていく風情を、時々、見かける。というのと同様に、原始時代、縄文時代、奈良時代、戦国時代、江戸時代、古代ローマ、古代ギリシア、ルネサンス、三国時代、西部開拓時代、といったところ、つまり時間と場所、環境によって、意識は、ごろごろと変わってきたのだろう。


▼▼サイエンスフィクションに属すであろう物語を読んでいる時に、現状とは異なる、科学、技術や道具、国家や文化、世界法則、などが、人間の意識を、如何に変えうるか、変えているか、ということの「シミュレート具合」に、ワクワクする、って思っていることがあったりするのだけど、でも、時間と場所、あるいは、立場、などが違うだけで(それこそ、今日の東京で行動Aをしているじぶん、と、昨年の鹿児島や北海道で行動Bをしていた誰か、とで)、すでに、意識はそれなりに違っているのではないか?──そこにも意識の違いを「観」て、ワクワクできてもよいのではないか? なんてふうに思うようなこともけっこうあって、まあ、なんというか、つまり、おそらくたいていの物語は、いくらか特殊な──現状のじぶんといくらか異なる「状況」や「情景」を、描いてくれているわけで、サイエンスフィクションに対して思いがちな「科学的要素が人間の意識の一部を変容してくれるであろうことに対してのわくわく」を、ここにも適用しちゃって、別にいいんじゃないかなー? 思うことも可能なんじゃないか? って思ったりも、する。することがあるのであった。


▼▼まあ、科学および科学的思考に対するワクワク。人間の叡智に対するワクワク、現代の人類の限界を超えていることに対するワクワク。というようなことが、サイエンスフィクションが好き!楽しい!という感覚の中には、混じってきてるんだろう、な。新技術シミュレートという線引きだけを境界線にしておくことはできなそう、というのは判る。


▼▼まあ、現状のじぶんとは異なるところに立っている人が、現状のじぶんとは異なる意識を(当然ながら)持っていて、そして無論、現状のじぶんとは環境に違いがあって、その異なる環境から影響を受けているからこそ、異なる意識を持っているのである、異なる意識が形作られているのである、意識が変容しているのである──、そしてそこに、如何なる変容があるのかな? 如何なる変容の構造や法則があるのかな? 環境と意識の因果関係は如何なるものでしょう? ということに、わざわざフォーカスしてる物語って、そんなに多いかなー? いわゆる「サイエンスフィクション」に属しそうな物語のまわりにこそ、そのあたりを強調する空気、読み取りたくなるような、見出したくなるような、雰囲気、などがあったりする、んじゃない? っていうふうに解釈してみることも、まあまあ、可能だったり、する、かなあ。
▼▼描かれている、解釈は可能、だとしても、そこにフォーカスしてるとしてないじゃ大違いじゃん、と言えたりはしそうだなー、とも思ったのだった。


▼▼大規模かどうか、大袈裟かどうか、っていうのも、いちおう、関係しそうかなあ。北海道の自然が、会社の事件が、学校のイベントが、あるサービスが、ある個人ないし何人かに与えている影響、を描くのと、サイボーグ技術が、宇宙開拓が、異星人が、人類に与えるであろう影響、を描くんじゃ、やっぱり、違う──感覚として違うのでは? というのは、ありそうだ。
▼▼例外事例もぜんぜんありそうだけど……。▼▼初の文化祭の準備で色めき立つ一クラスを、インターハイに向かって熱を上げ始めた新生部活を、異星人との邂逅で色めき立つ人類、のように、描くことも、不可能ではないのでは、とも思うし……。