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5月の終わりの当たりの文章

▼▼四日に一回くらいは「この閃きはほかの日のものより素敵であるなあ……!」という気持ちを持って文章が書けている。という時の「四日」みたいな、記憶の中における経験回数を数える、ということによる「算出値」って、たいてい間違っていそうだ。勘違いの温床というか本拠地というか、勘違い前提、というようなところがあるかと思う。
▼▼毎日文章を書いていることによって、毎日書いている文章ぜんぶは――毎回は、まあ読まれなくなっているだろう、とは思っていて、まあ、気が向いた時にでも(気になると思ってもらえる題名を付けることができた時にでも)読んでもらって、その瞬間、ブログ画面トップにある文章を、おみくじみたいにでも読んでもらえれば、それでよいか、って思っているのだけど、四日に一回、主観的な「当たり」がありますー、なんて思っていることと組み合わせると、当たりの文章の読まれ率が低くなる可能性がある、ってことが少し気になってきて、うーん、やっぱり毎日書くのは、やめたほうがよい? 当たりのものばかり挙げたほうがよい? 読まれたい、という気持ちの動かしかたとしてその方向のことも考えておいたほうがよいだろ……、というようなことは、考えてしまうところがあるのであった。葛藤が出てきたりはする。当たりが埋もれるのは――当たりが「当たりじゃないもの」と同列なのは、嫌、という感覚は、生まれないではない。とかなんとか試行錯誤を重ねるうちに「当たりってなんやねん……」ってなってきて思考が御破算になる。諦めがつく。単に飽きる。こういう心の落ち着けかた、けっこうしてる気がする。