二字熟語の上下入れ替え

▼▼二字熟語、順番を変更することによって、意味というか重心というか「主」が変わるのが好きで、暇潰しのように時々頭の中で動かして遊んでいる。
▼▼論理と理論、空虚と虚空、苦痛と痛苦、国外と外国、社会と会社、女王と王女、水流と流水、動作と作動、夢幻と幻夢、利便と便利、出現と現出、下降と降下、などなどだ。
▼▼基本的に下の文字が「意味の主」となる印象だ。▼▼というのは、経験から出来た感覚なのだろうか、とは思った。後天的に実感するようになったもの? ▼▼とはいえ、生来のものとも思われないか……。▼▼最初から人間は「文法」という形式を解釈できる脳構造を持っている、といった話と同じように、二つの文字が並んでいたら後半を「主」として見取るように出来ている、といった習性があってもよさそう、という気も、少ししたのであった。むしろこの習性が単語の在りかたの傾向を決めた、というような……。
▼▼日本語だと動詞は最後のほうに置かれがちだし主語は省略されるし(無論だから、日本語話者はそれに慣れていて、違うと違和があるし)、でも、英語では動詞は前のほうに来るし主語はむしろはっきりと謳われるし(でもって、英語話者は当然これに慣れているから、異なると違和が出るし)、といった差によって出来てくる「使っている、慣れ親しんでいる、身に染みついている、言葉ごとに異なる、後天的な言語感覚の差」と、同じくくりで見るのが妥当な気もした。
▼▼よい情報と悪い情報の順番を入れ替えると、全体の印象が変わる、といった説話もそういえばあって、こちらに近い気もした。こちらだとちょっと先天的な雰囲気があるのだけど。