二つの意味が重なっている

▼▼ツンデレ、中二病、壁ドン、というような「出自となる文化圏の違い/広義や狭義の範囲の変化/見た目上などから来る誤解、などなどによって、異なる二つの意味が、同じ言葉の上に、重なっている――重なっていしまう羽目になった」言葉、というのが、比較的好きだ、と、改めて気づいた。気づいたのだけど、これって、言葉の誤用も好き、ってことになるのかなー、ということも同時に考えていた。同じ状況じゃない?と思えた。
▼▼ツンデレや中二病や壁ドンという言葉群は、誤用だろ、と言えてしまうような「正当性のある意味」を持たないように思える(言ってもツッコまれる様子が想像できる)のだけど、きちんとした歴史的経緯や国家的統計などがあれば、「こちらが正しい用法だ」と言えるものは、出てきたりするだろう。出してこれるだろう。昔から使われてきて、皆様が今も使っている、といった背景の中に対して「正しさ」を「見て取る」ことにより、使いかたの正しさ、まで謳うことができる。


▼▼といった「違い」を見つめることで、昔からあった言葉の上に二つの意味が重なってしまった、というのと、最近出てきた言葉の上に二つの意味が重なってしまってる、というのを、異なった目で見ることは、可能じゃない? 可能だろう、と思った。
▼▼うーん、でも、絶対か? 絶対「異なった目」で見ないと駄目か? とも思った。
▼▼歴史を背負っていて、大衆を背負っていて、社会性や統計による強靱さを持つ、からと言って、当然のように、それに阿らないと駄目なのか? 阿ることが――頭を垂れることが、妥当なのかな? って思った。


▼▼社会性に頭を垂れるのって、別にぜんぜんしてもよいのだけど、絶対だ、当然だ、という水を向けられると、やっぱり、ちょっと、抵抗が出る。不満が出る。いやそこ盲目や盲従は駄目でしょ、っていう意識が出てくるところがある。
▼▼このあたりに関する意識をないがしろにしてると――このあたりのことをあまり深く考えないでなあなあにしてると、緊急時に、ヤバイ、ダメージがヤバイぜ、というような印象が強いのだよなー。▼▼油断や隙を見せていた時に喰らってしまうものがヤバすぎる脆弱部位、といった印象がある、のだ。普段から、何かあれば防御できるよう、備え、訓練しておくべき、と思う癖はついているのだった。