思索行動のエピソード記憶化

▼▼素直に一日を脳裡に描いて日記を書こうとすると、天候/景色/出来事のことばかりが思い浮かべられてしまって、思索したこと、の記録には繋がりにくくなる。思索って反芻しづらい。記憶の種類にエピソード記憶と意味記憶があってエピソード記憶のほうが記憶しやすいよ、って記憶論との関連を思った。天候や景色や出来事はぜんぶエピソードだけど思索は──特に思索内容は、エピソード、じゃないんだろう。思索の契機になったものとの「遭遇場面」から思い出せるよう、普段から認識を拡げておけば、エピソード記憶寄りにできるのかな……? まあでも「思索が始まる対象」がわかりやすくあってくれる場合ばかりじゃないからなあ。▼▼知らない街の中を散策するような、特殊で非日常的な環境における「思索」だと、状況の新鮮さが相まって──絡まり合って、異様に強く記憶に残ってくれたりする、ので、こういうのを普遍化できないものか、って思った。