なぜ日記を書き始めたのか

トピック「書き続ける」について

▼▼はてなダイアリーでは2004年に日記を書き始めた。十年前だ。今改めて読み返してみると、流石に駄目出ししたくなるところも(かなり)ある。が、駄目だ、と言っても、若かったせいか理解が甘いなあ/浅いなあ/温いなあ、といった切り口ではない、かな。意見の拙さが気になるのではなくて、説明の拙さが気になる、という雰囲気だ。最近はマシになったけれど言ってる内容が駄目駄目だった──今は改善された、改良できた、判断が成長している、よくなった、というような形状ではないのだった。説明における論理の飛躍や破綻や不足が気になってしまって、文句をぶつけたくなる、と言える。というような手触りが、改めて読み直していたら、あった──だいぶあった。まあ言ってることは判るし、今もおおきくは変わらないというか賛同できる話ではあるのだけど、でも、説明する手管や手捌きの中に、抜けやズレや物足りなさがけっこうあるように見えてしまうんですよねえ……、と、ツッコみたくなる雰囲気である。言説における整合性を検証してみた時に、いろいろと合わないところがあって、なんか綺麗に詰められてないぞ……、と思えてしまうところが多かった。


▼▼あと、文章の構成、言葉のバランス調整、が、けっこう変わったなあ、とも思えた。ただ、ここについても、あくまで趣味の変質、といった手触りであって、以前よりもよくなった、前は駄目だった、というような形では言いづらい感覚がある。時とともに話題や重心に関する嗜好は変わってしまったようだけど、結局、ここも、改善や改良という現象が起きているわけではなくて、単なる「移り変わり」であって、縦移動というよりは横移動だろう、と言えるような匂いがしているのだ。
▼▼文章構成については、ひとひねり的なものが前も今も好きで、うまくひねってあればたいていのものは好きなのだ、とも言えて、ただ、遭遇率の高いひねりには飽きてしまうから、遭遇率の低いもの、あるいは、一回飽きたものだけど出会い直す過程があって新鮮に思えてしまったもの、なんかに、日々流されているだけなんじゃあ……、っていう気もした。横移動を行なってしまう切っ掛けになっている気がした。


▼▼ブログを書き続けること、という旬のテーマに乗っかって今回は書こうとしているわけだけど、いや、ほんとうに難しいなー、とは強く思えてきた。軽く一回書いてみて、消して書き直している。


▼▼理解が好きだ、っていう言葉を思いついた。うまく理解できないぞ、っていう気持ちや混乱も非常に好きで、こういうふうに説明を続けてしまうと、脳内が余計に判りづらくなってしまうところもあるかと思うのだけど、つまりは「理解にまつわる挙動」が好きなのだと思う。理解にまつわる言説に触れるのってめっちゃ気持ちよいよね、と思っているのだ。だから、じぶんより沢山世界のことを理解できていそうな人達に対しては、子どもの頃から、憧れがあった。超楽しそうだよなあ、って思いながら羨ましがっていた。だから「理解者」を目指そう、と思っていたとかではあまりなくて──意識的に思うほどのこともなくて、ただ、選択できそうな機会に巡り逢うごとに、強い自覚もなく(毎回、自覚しながら選ばねばならないほど、選ぼうか選ぶまいか迷うための理由があるようにも思えなかったので──)(──でもって今もぜんぜん思えてないけれど)、とにかく、理解が深まったり拡がったりしそうな──深く広く多量に理解している者に近づけそうな、選択肢を、ごくごく自然に選んでしまっていたところはあった。▼▼という過程に「だから受験勉強を非常に頑張ったー」というものがなかったところが、視野の狭さだった、とは後悔的に思っていたりもするけれど、いずれにせよ、まあ、したためた日記的文章をネットに繋いで公開する、という選択肢を選ぼうと思った理由のまわりには、このあたりのことがかなりあったな、と、思っているのであった。ネットを使って文章を読み書きしたらいろいろ理解している者達に近づけそうだ、という期待があったのだ。


▼▼順序がズレてしまうけれど、既にネットで文章を書いている人達を見ながら、欲しかった理解を持っている人達がかなりの数いるようだ、素敵だ、羨ましい、妬ましい、って思えたのが、最初の精神だったのだと思う。ネットに出会い、ネットで文章を読んで、素敵な理解を持っている人達が、わらわらいるじゃん! もしかしてここで文章を書いてたらこんなふうになれるのか……? ならじぶんも書いてみよう……! といった、雑な判断のもとで書き始めた、とは言えるかと思う。ただ、今となっては、凄い人達が比較的多く集まっていた場所に、運良く遭遇していたところもあったようであり、狭い観測範囲の中で、世の中(インターネット)の人達ってスゴイ! なんてふうに盲目的に判断してしまっていたところもあったため(最初に目安にしていた人達が、わりと凄い人達だったっぽいことを、後に理解する)(このあたりの「凄さ」については、改めて整理せねばならないところがある、とも思うけれど)、この頃の「平均」的な感覚については、あんまり信用できない、勘違いがあった、再検証しないと、とは思ったりもしている。プロとか上級とかいう言葉が適すような練習場に、行き会ってしまって、練習場で練習してる人達ってすごいんだな、ここで練習しとけば、ぼくでもいずれはああなれるんだろう、なんてふうに、素朴に思ってしまっていたところがあるのだ。


▼▼で、日記を書き始めた。
▼▼書き始めるのと同時か少し前くらい(始める前の動機にも絡んでる気もするのでまあ少し前か)から、賢そうな人達同士の交流が今度は羨ましくなって、じぶんも頑張って理解やら認識やら判断やらを鍛えて賢いと思えることを書けるようになったらじぶんもあの中に混ざれるのかなー、なんて欲が湧くようにもなってたかと思う。
▼▼特にオフ会で交流したいとか友達になりたいとかじゃなくて(もちろん延長線上にそういうものがあってもよいのだけれど)、認めてもらいたい欲、承認欲求とか自尊欲求とかいう気持ちの絡み、って言えると思うけど、とにかく、尊敬している相手に認識してもらったら、あるいは評価してもらえたりしたら、物凄く嬉しかった、のだ。具体的に言うと、スゲエオモシロイなあ、なんて思ってた日記書きの人のアンテナに入れたもらったらもう素直にめっちゃ嬉しかったよー、というようなところが多々あった。いやまあTwitterのフォローあたりで今でも同じように嬉しく思っていたりもするのだけれど……。はてなブログの読者登録して貰ってから相手のブログ読みにいったら「うわこんなおもしろい人いたんだ……、この人に登録してもらったの、ホント嬉しい……」なんてふうに思ったりも、まあ、している。書き始めた頃、的な思い出ノリで書いているけど、基本的にこのあたりの気持ちは今も普通にある。


▼▼このあたりの話をしている時に頻繁に思い浮かぶのは、実はじぶんはあまり自信がなくて、だから、誰かに認めてもらうことによって、じぶんを信じたがっている? 褒めて貰わないとじぶんを信頼できない、というような形状が、ある、のか? というような疑問文だったりする。のだけど、この疑問文については、思いついておいてなんだけど、あんまり腑に落ちないっていうか、違う、と断言できてしまいそうな雰囲気が、わりと強くあったりもするのだよな。自信がないから、不安だから、あたりの言葉に対しては、違和が出る。いくら自信があろうと、不安がなかろうと、欲しいものは欲しい──このあたりにまつわる貪欲さは切りがない、というような理路で説明したほうが、納得できる印象もある。金銭欲や肉欲の切りのなさなんかに似ている気がする。褒められるのはいつだって嬉しくて、欲しい。切りがなくなり始めた契機はあったかもしれないけれど。


▼▼日記を書き始めたきっかけはおおよそこういう雰囲気だったかなと思った。より細かく説明するなら、はてなを始める前のテキストサイト時代のホームページのことなんかもあるのだけれど、まあ、ノリは同じだ。


▼▼最初のほうで書いていたように、理解、にまつわるものが妙に好きでm快楽を覚えてしまっていたこと、文章を書くことが最初から好きだったこと、言葉って道具について前から興味があったこと、なども、逐一影響してきていたりしたのだろう。子どもの頃から文章を書くのは好きだった、っていうのは、明確にある。書き始めたことにも書き続けてきたことにも明らかに関係している。そして、だから、なぜブログ書くのか? って質問の答えにも窮しがちだったりする。迷いなく楽しい遊びであってむしろ書かない理由がぜんぜんないのになぜ書くのって言われても、というような言葉が思い浮かぶ。


▼▼あと、日記とかブログとか書いて欲しいんすよー、と、人様に対して、頻繁に思っているところがある、というのがある。普段の会話の中で、うわあこのひとの語ることおもしろいなあ、って思えたりしたら、思うたびに、勝手に頭の中で希望していると言ってもよい。実際に言うことは少ないけれど問題なさそうに思えたら伝えてみることもある。というような……。まあだいぶワガママな話だとは思っているのだけど、書き手側に回ったらおもしろそうな人というのはけっこういる印象で、ぼくは無論、おもしろいものが沢山読みたいので、ぼくが読みたいのだから書いてよと言わざるを得ない、というような、ところが、あるのだ。
▼▼素敵な精神や心理に関する言語化を称揚したがってる世界観について、や、個人的な言葉の素敵さ、個人的な言葉を読めることの素敵さ、ブログの目的や金稼ぎの話の混ぜかたで、あんまり好きじゃないのがあるのとか、あと、講演会のような文章よりは独り言というか「じぶんに説明してる」って文章が好き、ってこととか、自問の匂いがしない安全圏でうろうろしてる文章は思いのほか嫌いとか思っちゃうっていうか「なんでおれこれ読んでるんだろ……」みたいな心境が発生しがちとか、このあたりのことも含めて書いてみようと思っていたのだけど、ここまででもかなり長くなったし、また改めて書こう、と思った。改めて書いてもこのあたりをぜんぶ整理整頓して理路整然と書ける気はしないのだけど、でもまあ、また、だらだら書きたい気持ちです。
──(2017/06/24改訂)