三百六十五の暗記

▼▼思い返して七月八日を思い出している。実際は十三日に書いている。五日後だ。五日前のことを思い出そうとしながら記述を始めた。が、微塵も思い出せないでいる。曜日は火曜日だった、ってことから推理していくのがよいだろう、とまず考えた。曜日ごと定期的に行なっている行動があれば、釣られて思い出せるはずだ、と判断したのだ。が、前火曜日は特に曜日予定がなかった気がする、のだよなー。というわけで曜日はうまいこと手がかりにできなかった。また、日常記録的な情報が回線上に存在している──時々日常記録をアップロードしている。ので、主に携帯電話の中を調査することで、手がかりを増やせるはずである──情報は得られるはずだ、と思った。けど、現段階では、あえて検索をせずに思い出せる範囲は何処までだろう、っていうのを試してみている。まあやはり思い出せなそうだ、と結論しそうにもなっている。
▼▼想像以上に、日々の、一日一日の、記憶が薄かった。派手なことがあったな、という契機を引き寄せる足場にして辿ることができなかったら、もうほぼ駄目だ。全滅に近い雰囲気が出る。出てしまう。格良いかほんの少し前の過去ですら人間は意外と思い出せないのだ、って説話が脳裡には常にあって、だから、思い出せなさ、を踏まえているつもりではあったのだけど、けど改めて、ほんとうに思い出せないものなのだな、と実感した。
▼▼けどまあ三百六十五日を憶えてられないのは哀しいかもなあ、と思った。
▼▼対象によるにせよ、三百六十五個の物事、を暗記することは、まあ可能だろう。余裕綽々な行為はなくても、不可能な行為って程ではあるまい。英単語を三百六十五個憶えるのは困難、と言えるかすら怪しいところである。なんていう暗記意識を持って日常を見つめられないものかな、と思った。三百六十五日後に、三百六十五個の日々のことを、一日せめて一要素でよいので、諳んじられたら、意外と素敵かも、なんて思ったのだった。