世界は称賛に値する

日記を書きます

長めに働いた

▼▼同僚の冠婚葬祭じみたものの発生で勤務時間が突然長くなった。▼▼習慣化によって明らかに「勤務時間の固定観念」のようなものが出来ていて──勤務時間に対する常識を日常の繰り返しの中で変に確立させてしまってて、確立させてるおかげで、固定観念から若干逸れただけで簡単に不満を抱けてしまう──安易に不満を湧かせてしまう、ところがある。▼▼昨日まではずっと同じ勤務時間で行動していたんだから……、っていう認識を想起の正当化に使って、違う、ってことだけで、苛立ちを許可してしまってる。
▼▼っていう路線を攻撃する精神が、以前はわりと自然にあったのに、最近は丁寧に思考せぬまま馴染ませてしまっているところがあって──出来合いの勤務時間観念について習慣という理由だけで納得しちゃってて、しかも胸中に不満を抱かせることにもぜんぜん違和がなくなってて……、っていうのを改めて認識してみて、まあやっぱり基本的には明確に嫌いかもなー、なんてふうに思ったのだった。▼▼突然、強めの負荷を、無理矢理、かけられて、最近緩すぎる負荷に甘んじてたなー、ってことに、有無を言わさず目を向けさせてくれるのは──くれたのは、ありがたかった、っていうのも思ったりした。
▼▼適切な負荷の境界線はほんとうに曖昧なので、誰かやじぶんに対する負荷を強めたり弱めたり──強められたり弱められたりする話は、困難だ、っていうのは思っている。
▼▼困難なので──困難だからこそ、なおさら、最近強すぎるかも、最近弱めかな? 無理矢理強くさせられたけど意外に耐えられたから今まで緩かったんだなー、なんてあたりの記録を残してみるのもアリかな、あたりのことも考えたりした。
▼▼ズボラとビビリの合わせ技で、短絡的に極端な強さ弱さに寄せてしまいたがる傾向もあって、駄目駄目だ、って思わされる場面も結構多い。▼▼聞くところ人間の惰弱さもなかなかのもののようなので、けどガサツに扱うのはよくないぞ、と思ったりもしている。
▼▼問題を派手にし過ぎたような気はする。頑張って長時間働いたぜー、なんて無邪気に言えるほどの辛苦かねえ、って指摘は浮かんでる。▼▼けどまあ、認識が変に偏ってて調和の崩れた姿で固まり始めてたら強めにガツンと叩き直してやらないとうまいこと再起動してくんないだろうな、って気もしてるので、誇張気味な問題提起もアリとしておく。