世界は称賛に値する

日記を書きます

抜群の体調でじぶんの思いを滅茶苦茶見通せる日と、眠くて見通せない日、に違いなんてあるのかないのか

▼▼曖昧な思いを整理しようとした時の性能にも日によって調子に違いがあるようだ、と思うけど、思うたびに結構不安がある。心根を見通せる日と見通せない日があるってことは見通せない日は自覚なくなんかやらかしちゃってる、って可能性を見ちゃうのだ。
▼▼可能性を見ちゃう。確かに見ちゃうんだけど、でも、思考や判断からの→行動、って流れを、そもそも前提にしすぎなんだよなー、とも思った──思いついた。
▼▼人生の中で最もじぶんの思惑を見通せる日、なんて日が万が一あったとしても、普段の振る舞いを顧みて、思惑に目を向けられて行動を調整できている場面、と、思惑に目を向けることなく動いている場面、の比率を考えてみたら、思惑に目を向けた時の理解性能が向上したところで、おおきな影響はなさそうじゃない? ▼▼なんていうかつまり、最初っから別に見てない時のほうが、多くない? 不調で心根が見通せない日には愚行やらかしてそうで怖いけど、心根ありきの行動がそもそもあんまりなかろう、っていうか。
▼▼目を向けられる比率や頻度が増える、のと、目を向けられる広さや深さが拡がったり深まったりする、のでは、若干問題が変わるかな、っていうのは、改めて思いついた。