世界は称賛に値する

日記を書きます

新年度前の送別会、って位置づけかなー

▼▼送別会の活動記録が多めかなと思う。書き残す精神が強く働きがちだ。別離にいまだ馴染めていないせいか?って思った。納得できてないし腑に落とせていない。なんで別れなあかんねん、と思ってそうである。一期一会だねえ、なんて言う時もあるけど、不満だからこそ「一期一会だねえ」なんて言って、脳に響かせて、強気に決着つけてる感ある。
▼▼以前の職場の送別会に顔を出した。まだ馴染んだ場だったかなー。けどまあ顔馴染みの変化もあって、馴染みは薄まりつつあった。ってのはまあ比較的諦められている。いるのだよなー。別離に馴染めないのと結構な違いがある。なぜだろう、って思った。人との別れは嫌だけど場との疎遠は別に嫌じゃない、ってことなのかな? まあそう断言できてしまうほどまるで嫌じゃないわけでもないのだけど、前者はまだ拘っててもよくて、後者はもう拘ってても無駄だろ、とかとか思ってる節は、ありそうなのだった。
▼▼人と疎遠になっていく状況にはまだ調整できるところがあるけれど、場と疎遠になる状況についてはもう流石に調整できなさそう、って思っちゃってる気もした。
▼▼距離を置くと、時間を置くと、楽しく話せるようになったりする。普段から会って話してても楽しい人だっているけど、違う人もいる。距離感で感覚が変わる。っていう経験は、まあ、積んで、活用できるとよいな、っていうのは、認識しちゃうと、まあ思う。
▼▼具体的に楽しい話はなかった、とも思った。っていうのが不満に思える時も、だから素敵って思える時もある。楽しめる話題がなくても楽しめるのは、雰囲気に酔ってるだけじゃん、って思ったりも、まあする。まあするけど、笑えるよく出来た話的なものの素晴らしさとつまらなさ、と、雰囲気に酔って何だって楽しめちゃう素晴らしさとつまらなさを、比較したら、何でも言えちゃいそうなので、まあよし、と思う癖は付いている。
▼▼終電間際で帰って、最寄りまでは辿り着けず、買い食いしつつ帰った。結局のところ五名ほど送別し、三名は関係性が濃いめだった。馴染んでいない人間の送別会が起こり始めたら、まあ、疎遠になる兆しかとは思うので、適当に立ち回りたいかな、とは思う。参加前の想像より楽しめたので、よかった。