ひさしぶりに会って飲むの、と、なんでだろうってあんまり書かないの

▼▼数年ぶりに会う人と飲みに出掛けた。熊本から出てきたとのことだった。街並みに詳しくなくて、飲み屋を決めるのに手間取ってしまって、申し訳なくなった。▼▼ひさしぶりに会う人の近況はおおむね楽しく聞ける。なんでだろう。▼▼って書こうと思って、やめようと思って、やめるのをやめようと思って、結局書いた。
▼▼日記で「なんでだろう?」って書いたことは、ほとんどないかと思う。▼▼頭を働かせることなく──サボり気味に、なんでだろう、なんて言葉を投げかけようとすると、せめて手前の頭で少しは考えてから書けよなあ……、っていうツッコミが浮かんできてしまうし、いくらか頭を働かせたあとだと、なんでだろう、なんて書いてる暇があるなら実際に考えたことを詳しく書こうぜー、って思ってしまう、からだ。
▼▼けど時々は許容できるくらいがよいよね、と思ったので、なんでだろう、と、あえて記してみた、のだった。▼▼切り口や視点、状況、性格や気分などの違いにより、回答が複数予測できるような疑問の場合、単純な「なんでだろう」のみを放置気味に置いておくのはアリなのではないかな、と思ったりはできる。▼▼昨日のじぶんと明日のじぶん、執筆者と読者、読み手Aと読み手Bが、こうでしょ、って違う答えを即答してきてくれるような「なんでだろう」なら「なんでだろう」だけをあえて置いておくのは、意味がありそう、というか、巧く活用できそうに思える。
▼▼理由が混合していて複数見込める時に、綺麗に切り分けるのが不得意、というか鈍いし遅いため、疑問文だけ置いておいて──疑問文を餌にして、引っ掛かったものを拾い上げていこう、というような雰囲気を妄想しちゃっている節はある。▼▼複数視点で物事を見つめる才能がじぶんになくても──苦手でも、誰彼かまわず疑問をぶつけまくれば、複数視点による意見が勝手に集まるじゃん、みたいな姿勢である。ま、まあよい。