脳内の動きの棚卸と、グループ化名称まで一緒に並べてしまうこと

▼▼脳裡や胸中に発生する様々な動きさえ人間は種類分けできたりする。のを見て、人間は凄いぜ、って思うのと同時に、種類分けしないと駄目なのかねー、むしろぜんぶを同じ俎上で扱うとかできないのかなー、って考えてみた。思考とか欲とか道徳とか本能とか想像力とか論理とか、頭の中や胸の中で蠢くすべてのものを、種類分けすることなく綺麗に揃えて並べる、という行動に憧れてみた。切り口の発端にはできそうに思える。
▼▼脳内の動き自体を種類分けなどしないで、一列に並べる。棚卸する。▼▼抽象概念を棚卸しようとすると「集合」まで一緒に並べ始めちゃうから厄介なんだろうな、っていうのは思いついたけど。別に集合も一緒に並べとけばよいのでは?って思えてもきた。
▼▼抽象概念じゃなくなってしまうけど、比喩で「書店の棚卸」を思い浮かべるなら、集合「少年サンデーコミックス」が、要素『うしおととら』の、隣に並んだところで、特別困らなそうじゃん、っていうか、少年サンデーコミックス、って括りまで「商品」として扱えるなら──扱えるよう処理できるなら、活かしつつ運用できそう、って思える。処理が多少複雑にはなるにせよだ。▼▼多少で済まない場合はまた考えよう。
▼▼整理と選別、種類分け、しているからこそ、達成できている切り口、やりかた、等にはあえて目を瞑っている。無自覚無意識に種類分けをしてしまっていて──種類分けするのが当然みたいになっていて、微妙に不満、っていうのが思考の発端だったからだ。問題提起というか駄目出しというか、一石を投ずるのが目的だったからだ。前置きや固定観念無しに心や頭の中を覗いて掃除してみたい、なんて思ったのだった。