おもしろさって概念の苦手具合

▼▼おもしろさ、に対して、納得いく理解を持てたことがないなー、と改めて思った。ここまで頻出する概念なのに、概念の中では最も苦手としてるかもだ。
▼▼数々、諸々、沢山の要素が混ざりすぎだし、要素達を混ぜ合わせるプロセスや比率のブラックボックス的見通せなさがほんとうに真っ暗闇だし、要素ごとの関係性や影響範囲が詭弁のような言い回しを駆使してすら繋げづらいし、同系統に見えても構造や媒体が少し変質するだけでぜんぜん違って見えたりするし、要素の細分化や集約化も切りないし。
▼▼言い換えるなら。▼▼小説が持つおもしろさを語ろうとして、比喩表現、リーダビリティ、表現の多彩さ、視点の新しさ、物語的な伏線、物語展開、世界設定、世界観、キャラクター造詣、登場人物関係図、テーマ、専門知識、シリーズ文脈、なんて考えないといけないのはほんとうに困難だし……、比喩が巧いのと物語展開が巧いのはおもしろさにどう繋がってて比喩と展開が互いにどう影響してるのかとか掴みづらいどころの話じゃないし……、対象が小説からサウンドノベルになったら、アニメがノベライズされたら、音楽が混じったり消えたりして、対象の把握具合の調整が困難だし……、キャラクター造詣に関しても細かく見れば女性描写が巧いとか天才描写が巧いとか凡人をこんな風に描くことが凄いとか言い始めちゃうし……。通奏低音的に流れてるテーマが新しいとか、かつての物語を踏まえてるとか、音楽の使いかたが新しいとか、場面の切り替えが巧いとか。なんか結局、運良く目についたものを言葉にする、ことしかできない気がしてくる。
▼▼ぜんぜん掌握できなくて──見えるものしか見えず思えるものしか思えなくて、納得ゆく言語化まで辿り着けないせいで、おもしろいもの語り、を聞くのも話すのも好き、と思っているところはあるかなー。おもしろいって概念が雑過ぎ、って文句思うのもできるけど、雑だ雑だ言ってても「おもしろ!」の圧倒的強さに立ち向かえない場面あるしな。