質問と回答の噛み合わせの見極めかたとかまでいくと思考追いつかない

▼▼なぜ?って改めて問うことで、判断や認識の背後や背景に、一段階潜れる。せめて一段階目まで潜ってるかどうか、によって、行動の質が変わってくる。視野狭窄や臨機応変に影響しうるのだ、なんて言える。状況や事態が変わって判断や行動の軌道修正が必要になった時などにおおきく影響してくるだろう。結果、信頼性にも絡んでくる。
▼▼教示を受け道理を学ぶ場面において、視野狭窄や一辺倒を可能な限り回避しよう排除しようと心掛けるならば──物事の変化に臨機応変に対処しうるような、理解してる範囲の広さのおかげで多少複雑な状況変化に対しても「巧く対応できましたー」と言えてしまうような、じぶんで判断せよと権限委譲されてかつ実際に対処できるような、精密で快活で的確な理解を持つには、何が必要なんだろう──理解の型はどうなってるといいんだろう、と考えていた。効率的効果的な学び、が持つ構造や性質を取り纏めたくなった。
▼▼取り纏めようとした結果、なぜ?って質問に答えることで、せめて、一段階、問いの背後には潜っておこうぜ、という認識に繋げてみようと思い立ったのだった。
▼▼けど、なぜ?に対して頓珍漢な答えを返してしまった経験、っていうのも、実際問題あるからなー。問いかけを勘違いしてしまうことがある。問いが向かう先を見誤ってしまう時があるのだ。▼▼勘違い経験を踏まえると、単純に、なぜ?に答えておけば完璧、とは言い切れないところもあるなあ。なぜ?と問うて問いの背後に回っておけばよし、って唯一解のように諳んじて脳内に保管しておくのも、若干微妙だ。教示側と学習側における視線の違い──前提や重視の違いによって、問いが微妙に噛み合わないことがある。噛み合わないことがあるので、ここも踏まえた対策を練らないと、駄目だろう。
▼▼ってなると次は「質問と回答のかみ合わせの見極めかた」になる。厳しいなー。