世界は称賛に値する

日記を書きます

前日の日記を修繕し始めると文章が重くなる

▼▼前日の日記を修繕するのが異様に好きだ。論理のほつれを修理したくなる、と言えるかなー。言葉を置き換え、継ぎ足し、削ぎ取って、隙間を微調整しながら、繋がりの強さや接続の型や境界線や道のりを、改めて整理してゆく、っていうのが妙に楽しめる。調査しつつ修理する行為は子どもの頃から好きだったので、同じ嗜好によるものだろう。
▼▼実際的な傾向としては、言葉を足すことが多くなる。言葉を足して意味を加えて調節してみせるほうが、おそらくお手軽なんだと思う。あるいは単純に「趣味嗜好に合う」のかもである。いずれにせよ、日記の修繕を始めると文章はおおむね長くなる。足すことに夢中になって余計な形容や語感まで加えてしまうことも多い。
▼▼印象論になってしまうけど、結局、修繕行為を行なうと、文章全体が重くなりがちだかな、と思う。約7割は、許容範囲での重量増加で済んでいるように思えるけれど、残り約3割は、過多にまで足を踏み入れてしまっている気がする。駄目な重さだろ、って指摘が浮かんでしまうような重さに見えてくる。けどまあ、この「重すぎではないか?」って認識も、修繕直後は、修繕の楽しさに興奮しすぎて即座に抱けなかったりしていて、だいぶ落ち着いたあとで、読み返して、流石に重すぎたわー、って改めて思える次第である。
▼▼熱量が落ち着いてからぜんぶの文章を読み返しているわけじゃないだろ、っていう問題もあるか、と思った。読み返す時間がないこともある──ある以上、重くなりすぎてる問題にすぐ気づけなくて、のちのちも読み返していないから、最後まで、重すぎ可能性に視線を向けられていない、ってだけの文章が沢山ありそう、っていうのは思った。
▼▼改造をし始めると改造の種類がなんにせよ重量が増加しちゃうものなのだ、っていう比喩は、おそらくメタルマックス2から来てるなー、と連想した。
▼▼昨日の日記を書き直して、結構おおきく書き直してしまったので、書いた。おおきく修繕した時は、修繕前と修繕後を残したくなる、ことも時折ある。後々活用できそうだと思える時があって、読み物として楽しそうだと思える時がある、のだ。思っただけで実践しないことも多いけど、今回は残した。様々な推敲の手腕を眺めてみたい欲もあります。