世界は称賛に値する

日記を書きます

具体的な遊びと、膨大な思惑と、最初の一歩だけが面倒

▼▼具体的に遊んだ日には、思惑が多くて──思いと書きたくなることが多すぎて、混乱して、事前の想定以上に筆が止まりがちだ。具体的現象を脳内に設置しての、並び替えや置き換えによる整理、と、重要性や面白性を物差しにしての、現象切り取りと抽出、等々が、だいぶ手間だからだろう。思考負荷が強めだと感じる。
▼▼けれどまあ、素材は多いので、実際に多少であれ動き始めてくれると、比較的、潤滑円滑に回り始める、っていうのもあるのだよなー。▼▼膨大な材料の把握の難しさと整理の面倒さに立ちすくんでしまう「立ち上がりの遅さ」と、実際に材料の全容を整理し把握し動き始められたなら妙に沢山料理できちゃう「回転の速さ」を思った。
▼▼素材を突然沢山与えられて、びっくりして面倒になって思わず立ちすくんでしまったけど、頑張って整理しようと思い直せて、実際に整理できて──全容を把握できて、重荷認識を持たずに行動できるようになったら、むしろ通常より速く回せるようになった。素材の多さを武器にできた。って現象は、時々起きているように見える。
▼▼が。時々見かけるのに、ぜんぜん前提にはできてないのだった。▼▼膨大な素材を突然与えられた時に、面倒だなー、でもまあこういう時って、負荷がおおきいせいで最初は面倒だとか思って動きが悪くなっちゃうんだけど、少しでも回り始めたらすごく滑らかに回るようになったりもするはずなので、まあ頑張っちゃおうぜ、っていうような「構造全域や結末を見越して明るい状況を見つめる」ようなことが、あんまりできてない。
▼▼短期的視野と長期的視野なら、短期的視野を向ける行為のほうがおそらく難度が低いのだろう──始動させやすいみたいだ、とは判断していて、だから、単純自然に活動しようとすると短期的視野で見てしまうことが多いぞ、と思ったりもしているのだけど、なぜか運良く長期的視野で見ることが習慣づいてる分野もあったりするので、訓練と慣れで長期的視野を習慣づけすることも可能なのだろう、とも思っていたりする。いわゆる「長い目」を、習慣づけられた分野もあるのだから、同様に活かそうぜ、なんて思えている。
▼▼なので、膨大な素材を前にした時の気持ちや心持ちについても、改めて習慣づけしてしまうことができたらよいなあ、なんて考えてみたのだった。現状はむしろ明るいぞ、とか、視野が広いゆえに直観的に見なせてしまうよう、回路調整したいと思った。▼▼具体的に遊んで思惑が多い、って状況に置かれた時に、面倒だ重荷だと思えてるだろうけど実は一歩動くだけで光景ががらりと変わるぜ、と即座に判断したがってるのだった。